数学月間の会SGKのURLは,https://sgk2005.org/
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ジョゼフ゠ルイ・ラグランジュ(1736年 - 1813年);数学者,物理学者,天文学者は,オイラーの弟子で,フランス革命の前後の時代を生きた.
彼は,微分積分学を物理学へ適用し,最小作用の原理,解析力学を創出した.
ラグランジュによる『解析力学』は,ラプラスの『天体力学』と共に18世紀末の古典的名著とされる.
最小作用の原理の起源といえば,1696年のスイスの数学者ヨハン・ベルヌーイの「最速降下曲線」問題に言及せねばなりませんが,そのトピックは以下でご覧ください:
https://note.com/sgk2005/n/n7b4803b9a981
■ 変分原理
始点$${(t_0, q_0)}$$と終点$${(t_1, q_1)}$$に対し,この2点を結ぶ2つの道筋が図示されている.2つの道筋は始点と終点では一致している.同一時間における道筋の差$${\delta q}$$を変分という.
ラグランジュ関数$${L(q, \dot{q}, t)}$$ として,$${S=\int_{t_0}^{t_1}L(q,\dot{q},t)dt}$$ をラグランジュ関数$${L}$$の作用という.$${L}$$の変分は
$${\delta L=\frac{\partial L}{\partial q}\delta q+\frac{\partial L}{\partial \dot{q } }\delta \dot{q}=\frac{d}{dt}(\frac{\partial L}{\partial\dot{q } }\delta q)+\delta q(\frac{\partial L}{\partial q}-\frac{d}{dt}\frac{\partial L}{\partial\dot{q } })}$$
$${\delta S=\int_{t_0}^{t_1}\delta q(\frac{\partial L}{\partial q}-\frac{d}{dt}\frac{\partial L}{\partial\dot{q } })dt}$$
現実に起こる運動はラグランジュの方程式を満たすので,変分は0で作用は停留値をとる.
$${\displaystyle \frac{d}{dt}\displaystyle \frac{ \partial L}{ \partial \dot{q}_{\alpha } }-\displaystyle \frac{ \partial L}{ \partial q_{\alpha } }=0}$$
Lagrangeラグランジュの方程式
$${L(\dot{q}_{\alpha } , q_{\alpha }, t)=T-U}$$
Lagrange関数(系の運動エネルギーと位置エネルギーの差)$${\dot{q}, q}$$は一般座標での速度と位置
ラグランジュの方程式から,ニュートンの方程式を導くことができるが,複雑な系でもラグランジュ関数を書き下すことは容易なので,広範に応用できる.
Lagrange関数から色々な力学量を導くこともできる.
例えば,系の全エネルギーは$${E=\dot{q}_{\alpha}\frac{\partial L}{\partial \dot{q}_{\alpha } }-L=T+U}$$
中心力場で角運動量を求めたり,軌道を決定したりできる.
ニュートンの運動方程式がケプラーの法則と一致することも示せる.
量子力学への移行では,エネルギー(ハミルトン演算子)$${E=\frac{p^2}{2m}+U}$$で,運動量演算子の置き換え$${p→ \frac{h}{2\pi i}▽}$$ をして,ハミルトン演算子$${H}$$を作ったことを記憶しているだろう.
$${H=-\frac{(h/2\pi)^2}{2m}+U}$$
■最小作用(停留値)の原理
ある力学系でLagrange 関数$${L(q, \dot{q}, t)}$$が与えられたとする.
$${S=\int_{t_0}^{t_1} L(q, \dot{q}, t)dt}$$をその系の作用という.
モーペルテュイは,「始状態から終状態への運動経路には,作用と呼ばれる 量が定義でき,作用が最小となる経路が実現される.これが物理学のみならず,万物の運命を決める外界の原理である」という着想ーーー”最小作用の原理”(1744)を得た.モーペルテュイは,1744年に光学現象(光の直進・反射・屈折)に即してこの原理を述べた.
たしかに,現実の運動では,しばしば作用が極小になるものが見られるが,正確には,「作用が停留値をとる経路が実現する」というのが正しいことが後にわかる.適当な作用を見つければ万物の運命が分るというのは神秘的だが魅力的な着想ではある.
オイラーは,モーペルテュイの作用量の定義を積分に拡張し,最小作用の原理をさまざまな力学課題に適用できるようにし,最大または最小の性質をも つ経路曲線を見出す方法を発表した(1744). これを読んだ若き日のラグランジュは変分法を発明し,オイラーに手紙(1755)を送った.オイラーは,ラグランジュの方法を採用し,『変分法の原理』 (1766)を出版する.
変分法により導かれる運動方程式が,オイラー=ラグランジュ方程式といわれる所以だ.
その後,ラグランジュは,『解析力学』(1788)を出版する.その序文に「 本書には図はーつも出てこな い.・・・・所定の手続きに従い進める代数計算だけだ.・・・・」と高らかに宜言する.こうして,複雑な力学問題も解ける一般化された手法が確立された.
力学系を記述するラグランジュ関数を求め,ラグランジュ関数の作用積分が停留値をとる条件を変分法で解くと,オイラー=ラグランジュ方程式が得られる.
系のラグランジュ関数は,$${L(q, \dot{q}, t)=T-U}$$,ここで,
$${T, U}$$はそれぞれ,運動エネルギー,位置エネルギーである.
普通,位置エネルギーは座標$${q}$$だけの関数だが,複雑な系では,位置エネルギーも速度$${\dot{q } }$$に依存することもある.
ラグランジュ関数は,電磁場に置かれた荷電粒子にも定義され,光(電磁力学)も力学も統一して扱える原理ができた.
変分原理から,ニュートンの運動方程式は導出できる.その上,変分原理は,ニュートン力学より一般化された外界の原理である.20世紀に入り,量子力学が誕生した時もこの原理が手掛かりになった.光や物体の運動が,作用積分を停留化する経路を選択するというのは不思議といえば不思議,当然といえば当然だ.
科学と数学の関係を語るとき,「科学の発展に必要だった数学がいつも先回りして用意されていた」とよく言われます.ドラマティックにそのような脚色をした本も多いようです.
ある数学の出現が,天才による閃光のようだとする見方もあれば,その数学の出現は必然(時期が熟したためであり,その時期にその分野に係わっていたのが幸運だった)とする見方もあります.後者の見方は,同じ時期に同じ結果を複数の人が発見する事例が良くあることの説明にもなります.どちらの見方も最もな言い分です.
数学は,現場(科学)から生まれたとするか,それとも,科学に先んじて数学が独自に生まれたとするか,これらも両極端な見方です.
数学の源泉が現場にあったことも事実ですし,数学から数学が生まれたのも事実です.
19世紀末(1890~1894年)に,フェドロフ,シェンフリ-ズ,バーローがそれぞれ独立に結晶空間群230種類を数え上げていました.これらの3人のうちシェンフリーズはドイツの数学者ですが,フェドロフはロシアの鉱物学者,バーローはイギリスの実業家です.
レントゲンによるX線の発見(1895年)は20世紀の幕開け前夜です.すぐ20世紀に入り,結晶を回折格子としたラウエの実験(1912年),X線結晶構造解析のブラック親子(1915年)と科学の発見が続きます.
ブラック親子のX線結晶構造解析に必要な,空間群の230種類の数え上げは,「さあ,お使い」とばかりに準備されていました.ドラマティックですね.数学が科学的発見より先んじていた例に良くあげられます.
しかしながら,数学を突然出現させるのは,演出が過ぎるというものです.17世紀中葉からの結晶に関する多くの観察実験により,「結晶は単位胞が積み重なったデジタル(離散的な周期的構造)世界でなければならない」と推論されていました.それは,ステノ(1669年),リスル(1772年)の「面角一定の法則」,アウイ(1783年)の「有指数の法則」,ミラー指数(1839年)などの積み重ねの結果です.実際これらに貢献したのは数学者ではなく現場の科学者で,結晶学と整数論がともに進んできた道です.
ブラベーの格子の対称タイプの数え上げ(1848年),ヘッセルの結晶点群の数え上げ(1830年)などを経て,空間群の数え上げに至ります.
しかし,これらをもって数学と言うならば,数学は科学の現場で育まれたのです.
さらに洗練された数学的概念の関与で,数学の登場となります.空間群の直積や半直積への分解や正規部分群の拡大などの群の成り立ちの研究になってからではないでしょうか.
数学月間の狙いは,「数学が基礎科学も含めて社会を支えていることを,数学嫌いの市民に気づいてもらい,数学アレルギーを無くそう」とういうものです.その数学の源泉は何かの現場(科学や社会)に無縁ではないはずです.そして,数学の本質は論理なので,数学を抽象化し洗練すれば,数学から数学が生まれる宿命にあるのも確かです.やがて,その数学の源泉は見えなくなるのですが,そのように抽象化純粋化された数学も源泉につながっていたことを忘れたくはありません.
「・・・・・多くの数学者は物理学その他の分野との関係を見失い,一方,物理学者は数学者の関心と問題意識,その方法と語法が理解できなくなっている.これでは,科学の発展の流れは次第に細かく枝分かれし推量を失い,ついには干上がってしまうであろう.・・・・・」R.クーラントの『数理物理学の方法』(1924)の序文からの引用.
これが書かれたのは今から100年前ですが,このような状況は現在も同じです.
数学の源泉が良くわかる数学と科学現場が一体であった以下の時代を,これから考察しましょう:
●14世紀末~16世紀初頭
ルネッサンス人というのは多分野に天才であった人たち(数学者で科学者で芸術家でというような)が活躍し,数学研究が孤立していなかった面白い時代です.タルタリア,カルダーノ,デカルト,フェルマーなどの時代です.
●17世紀~19世紀
次に,ニュートン,ライプニッツ,ガウス,フーリエ,ダランベール,オイラー,ラグランジュ,ベルヌーイ,パスカル,マックスウェルなどの時代があります.この時代も科学と数学は一体で発展し面白い時代でした.
1687年に粒子に対するニュートン力学,1873年にマックスウエルが波動である電磁気学を確立し,古典物理学のパラダイムが完成しました.20世紀になるとこれらのパラダイムはミクロの世界で破綻し量子力学の誕生になります.
次回から,古典物理学の完成時に戻り,数学と物理学に大きな影響を与えた,以下の2つの話題を取り上げます:
■ラグランジュ 解析力学
■マックスウェル 電磁力学
ポリカ波板6枚を切った.私は万華鏡材料のステンレス板も切れる強力な金切りバサミを持っているので,オーバースペックだがポリカ切断には切れ味的には問題はない.しかし,形状が波板という所にやっかいな問題がある.このハサミは切断した帯を側面後方に逃がすのだが,帯が通り抜けるスリット幅が5mm(5mm厚以上のステンレス板は切らないので当然)で,長さは10mmくらいある.波板はうねりの振幅が10mm,ピッチは32mm.もしハサミのスリット幅が10mmだったら,波板切断にも対応できる非常に便利な金切りバサミになるだろう.
世の中には,波板専用の切断ハサミというものも存在するが,たまにしかやらない作業に特殊な工具をそろえていては切りがない.
そこで次の問題を思いついた:ピッチ32mm,振幅10mmのsin曲線のグラフを,長さの10mmの筒の中を通り抜けさせるためには最小でいくらの筒の幅が必要だろうか(表紙図).答えはまだ考えていません.
さて,何か手段はないかと色々工夫するのだが大抵失敗する.辛抱強く少しずつ切り進むのが一番良かった.スリットを通過する場所を局所的に少し伸ばして波板のうねり振幅を薄くして切り進むと多少は効果がある.
結局、全体はうねっているのだが,気にせずに,スリットを通過する場所だけ平坦(局所的に)と見て少しずつ切り進んで行けば,いつかは全体を切断することができる.作業しながら,波板の表面は接平面を繋いで出来上がっている多様体だななどと考えていた.
放射光SPring8の建屋は円形である.廊下を歩くとき先を見れば廊下が円形に続いていることが良くわかる.しかし,自分の周りだけ見れば廊下は直線で出来ている.部屋も壁もドアーもそべて直線で出来ている.どこもカーブしていないのだが,全体としては廊下は円形になっているので不思議な気分になる.
地球だって自分の周囲の地面は平坦にしか見えないのに,地球全体の形は球形である.水平線を見渡せるような景色でも見ない限り地球が丸いことを実感しない.でも実際,小さな接平面を繋いでいくと球形の地球になってしまう.
閑話休題,ポリカ波板で何を作ったかといえば,ブドウ棚の雨除け屋根を作った.雨に濡れてシャインマスカットに黒とう病が発生したからだ.トップジンで消毒した.4年にもなるので元気に育ってほしい.
◆数学には多くの大きな発見がありますが,他の人が理解できるものだけが進歩につながります.数学的概念の理解の容易さや使用の普及は,その表記法が便利かどうかに依存します.たとえば,ローマ数字で2つの数を掛け算をするのは大変です:
MLXXXIV と MMLLLXIX を掛け合わせなさい.全然できません.
加算の場合は別で,この場合はローマ数字の作り方そのもので,容易にできます.ですから,ほとんどの計算を数字の加算で行っていた商人は,ローマ数字の使用をあきらめようとなかなかしませんでした.
注●
ローマ数字は,各アルファベットが表す数を足せばそのまま数になるようになっている.例えば,①1を表すアルファベットは‘I’,‘II’なら1が2つ並ぶので2,‘III’なら3を表す.②同じ文字が4つ並ぶのは禁止で,4は「5の1つ前」と考えて‘IV’と表す.③‘V’は5に対応するアルファベット,10は’X’に,50は’L’に,’C’,’D’,’M’は,それぞれ,100,500,1000に対応させる.
MLXXXIVは,1000+50+30-1+5=1084;
MMLLLXIXは,2000+150+10-1+10=2169 です.
和はMMMCCXLXIIIになります.
数学を発展させるには,このローマ数字の表記法では無理です.
和算も同様で,優れた数学がありましたが,表記法では不利な立場に置かれ理解が広がりません.結局,数学の発展についていけませんでした.
◆微分でのニュートンの記法は関数名の上に”ドット”をつけるもので,
x(t) の1階微分はx˙(t),2階微分はx¨(t)などとするものです.
これは速度や,加速度の表記には便利ですが,高階の微分の表示には向かないし,微分する変数が1変数なら良いが多変数になると使えません.ライプニッツの表記法なら,微積分学の概念を容易に拡張できました.
イギリスの数学者たちは,愛国心からニュートンの記法を用いていたが,ライプニッツに倣った大陸の数学者たちと比べて不利な立場になりました.
関数の微分では,このほかに,ラグランジュの表記法f′(t)なども使われます.
◆数学上の発見の評価は,現在の視点からのその影響度と洗練度でなされるでしょう.それしか方法はないのですが,現在の私たちの視点と何世紀も前の数学者たちの視点は違うことを忘れないようにしましょう.
今日の数学の教え方は,往々にして過去の難解さを理解できなくしています.ただし,それはそれで,効率的に数学の理解ができる利点はあります.
数学上の主要な発見の素晴らしさの評価は単純ではありません.それらは,閃光のように見えますが,実際には,多くの数学者たちによる長年にわたる研究の集大成です.
微積分を最初に発見したのはニュートンかライプニッツかという論争がありますが,ニュートンが師バローから微積分を学んだことは間違いありません.もちろん,バローが微積分を発見したわけでもありません.微積分はギリシャ数学に始まる長い進歩の過程を経て生まれたものです.フェルマーやライプニッツも係わっています.
数学の主要な発見は,「適切な時期」にそのテーマに取り組んでいた幸運に置かれれば,誰でもできたと思える面もあります.でも,これも偏った見方です(なぜ二人以上の人が,ほぼ同時に独立に同じ発見をしたかの説明には,ある程度役立ちますが).発見の中に,天才的なひらめきが確かに存在し,それは,より深い理解や,特定の概念の重要性をより明確に理解したことから生まれます.
新しい概念の発見は奥が深い.その簡単な例は,
2個のリンゴを3個のリンゴに加えること(加算)の誕生です.
リンゴだけでなくあらゆるものの集合の抽象的な性質として, 2や3などの数字の世界が生まれることで,数え上げから数学の領域へと移行しました.
負の数の導入も長い苦労の末にようやく実現しました.
現在の視点から当たり前に思えることでも,そのときの困難を理解することは、小学生を教えようとする教師にとって有益です.
ネイピア,ブリッグスらは,約400年前に対数を考えました.対数はそれから350年間,算術計算の主なツールとして使われました.科学で必要な膨大な計算は,対数なしではできませんでした.その後世界は変わり,コンピュータが登場しました.さて,この先何がコンピュータに取って代わるのでしょうか.ネイピアが対数と同時に機械式コンピュータの基本概念を発明したことを思い出してください. より高速なコンピュータ,より小型のコンピュータ,より高性能なコンピュータは思い浮かべることはできますが,コンピュータと対数表が異なるくらい,コンピュータと画期的に異なる何かが思いつきますか.量子コンピューティングかも知れませんね?いずれにしろ,
非ユークリッド幾何学,群,一般相対性理論,集合論などの発明がいかに困難であったかが分かります.