数学月間の会SGKのURLは,https://sgk2005.org/
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No.527,528の「記数法と数体系」に続くのは,今回の「数が生み出される仕組み」[演算]です.
演算とは,4則演算,指数と対数,三角関数ほかの色々な関数,微積分などがあります.
素数を生み出す仕組みはまだ謎ですが,フィボナッチ数が生まれる仕組みは,
「前の2項の和が次の項を決める」という非常に簡単な再帰的規則で,
DNAにプログラムするのも容易です.これが自然界で色々な場面にフィボナッチ数が登場する所以でしょう.
今回の話は,歴史的には,ニュートン,ライプニッツの時代(1720年ごろ)までです.
・ゼロの役割
バビロニア,ギリシャ(ただし天文学者だけ!),マヤなどの古代人たちは,ゼロを数体系における位取りとして使用していた.現在の数体系が生まれたインドでも同様である.
628年にBrahmaguptaブラフマグプタが,ゼロを単なる位取りとしてではなく,数字として扱い,ゼロと負の数を使った算術規則の最初の書物を書いた.
820年にAl-Khwarizmiアル=フワーリズミーは,インドの数体系をイスラム世界に紹介した.
フィボナッチは1202年,『リベル・アバカ』(計算の書)の中でこれをヨーロッパに紹介し,ヨーロッパでのゼロの使用を広めた.
・無限
無限は水平線の彼方にある.勇敢な船乗りが,どんなに遠くまで旅をしたとしても,
少しでも無限に近づいたと言えるのだろうか?自然数が無限にあることは簡単にわかる.
どんな数でも最大であると宣言すれば,いつでも1つ増やすことができ終わりがない.
0と1の間に無限の数があることも真実だが,これは少し厄介だ.
ギリシャのストア学派Zenonゼノンは,一連のパラドックスを通してこの考え方を研究した.
彼の最も有名な説は,すべての運動は不可能であるというものだ.
A地点からB地点に行くには,無限の中間地点を通過しなければならず,それぞれの地点から次の地点に行くには正の時間がかかる.無限個の正の数を足すので無限の時間になり,有限時間ではどこにも移動できない.
この論理のどこが間違いか(無限個の正の数の和が有限である可能性がある!)わかっているが,この考えは多くの研究を引き起こした.微積分の中心的な考え方は無限に関わっている.どんどん小さくなっていく正の時間間隔(私たちは「限りなく小さい」と言う)の無限数列を使った平均変化率で,瞬間的な変化率(速度)を定義することができる.
エレアのゼノン c.490-c.430BCE,ゲオルグ・カントール 1845-1918
収束する無限級数の簡単な例は,1/2+1/4+1/8+1/16+...=1
無限級数の中には驚くべき結果をもたらすものがある.例えば,1-1/3+1/5-1/7+1/9-1/11+1/13-1/15...=π/4
ガリレオはある点集合を別の点集合に写像する公式を作り,デカルトは代数式で曲線を作る概念を導入した.
「関数」という用語は17世紀後半にライプニッツによって作られた.
関数のすべての入力集合は定義域(ドメイン)と呼ばれ,すべての出力集合は像(イメージ)または値域(レンジ)と呼ばれる.
曲線の勾配を計算する微積分の発明者は,ニュートン,ライプニッツとされている.
ニュートンは,「フェルマーの曲線と接線に関する先駆的な研究での近似概念の発展がなかったら微積分に到達できなかった」と公言している.
オスミツバチの先祖の木
オスのミツバチは未受精卵から生まれるので,オスのミツバチ( M)には母親はあるが,父親はいない.これに対して,メスのミツバチ( F)は,受精卵から生まれるので,両親がある.
図3.12は,7世代に遡るオスのミツバチの系図を示した.
[訳注:世代 nの数え方は,自分を1,親の世代を2のように,過去に遡る方向にn が増加する.図3.12には, 2世代(母親)~6世代が示されている.このようなネットワークは,グラフ理論の言葉で,木(ツリー)と呼ばれる.ネットワークにループ(閉路)がなく,あたかも,枝分かれ成長する木を思わせる.]
各レベルつまり各世代のミツバチの総数を数えよう.表3.3に示すように,これはフィボナッチ数になる.
$${a_{n} , b_{n} ,t_{n } }$$を,それぞれ,世代$${n , n \ge 1}$$のメスのミツバチの数,オスのミツバチの数,ミツバチの総数としよう.オスのミツバチから先祖に遡るので,明らかに,$${a_{1}=0}$$, $${b_{1}=1}$$から始まる.オスのミツバチは母親,メスのミツバチには母親と父親が確定するので,$${b_{n}=a_{n-1} , a_{n}=a_{n-1}+b_{n-1 } }$$, $${t_{n}=a_{n}+b_{n } }$$である.
$${a_{1}=0 , a_{2}=1 , a_{n}=a_{n-1}+a_{n-2 } }$$なので,$${a_{n}=F_{n-1 } }$$のフボナッチとなる.
これから,$${t_{n}=a_{n}+b_{n}=a_{n}+a_{n-1}=a_{n+1 } }$$が得られ,$${t_{1}=a_{2}=1, t_{2}=a_{3}=1}$$であるので; $${t_{n}=F_{n } }$$となる.
かくして,オスのミツバチの世代$${n}$$の先祖数は$${F_{n } }$$である.この魅力的な関係を最初に導いたのは,W. Hope-Jones, 1921年[322]であった.
本文:①より引用. 表紙図:②のp.25の図を編集.
SHAPE-[形]で解き明かす社会の難問
ジューダン・エレンバーグ著
宮崎興二編訳/パウロ・パトラシュク訳(丸善出版)
この本の紹介をします。数学書ではありませんが、数学の心意気が理解できる変わった面白い本です。いくつかをのトピックを選択して、コメントを述べようと思います。
■ 第一章は、リンカーンとユークリッド原論から始まります。
リンカーンと共に米国各州を巡回し生活した、弁護士ウイリアム・ハーンドンが1889年に出版したリンカーン伝からの回想が引用されています:
「田舎の狭いホテルに一緒に泊まったとき、二段ベッドの上から長い脚を垂らし、ローソクの光でユークリッドの原論を夢中になって読んでいるリンカーンの姿を見た。」
「リンカーンの事務所の机に、定規やコンパスや色々な図面や計算が書かれた紙が散らばっていた。」このときは、「円積問題を解こうとして二日間全力を尽くしていた。」とリンカーンが語った。
これらのエピソードから、リンカーンがユークリッド原論の愛読者だったと知って大変うれしい。
リンカーンが挑戦した円積問題[円を面積の等しい正方形にする]が、定規とコンパスだけでは作図不可能であることは、今日、誰でも知識として知っており、多分、わざわざ挑戦しようとは思わないだろう。しかし、リンカーンのように自分で図を描きやってみることが最も大切なことである。
1.円を正方形に
2.立方体のデロスの祭壇を2倍の体積の立方体に
3.任意角度を3等分する
これらは、定規とコンパスを使って作図できない問題だ。これは後の時代(リンカーンの頃は既知であったが)にわかったことだが、これらの作図の解は3次方程式の根であり、3次方程式の根は、定規とコンパスで作図できる数(+、ー、x、÷、√で表現される数)ではない(3乗根がでてくる)。
ユークリッドの幾何学から、リンカーンが身に着けた一番大切なものは、誰もが認める公理系の基礎の上に、誰も否定できない世界を演繹で組み立てるという考え方だった。
アメリカの独立宣言の中に言及されている『自明な真実』というのは公理に当たるし、ゲティスバーグ演説で、「人間はすべて平等に創られている、という『信条』に捧げられた新しい国家、それがアメリカである」という歴史的な名言中の『信条』は、”proposition”という単語【普通は『命題』と訳す】で、この言葉遣い自体が原論の公理の書き方を思わせる。
トーマス・ジェファーソンもリンカーンに先立、同様にユークリッドの原論に民主主義を支える原理を見つけ出そうとしている。ジェファーソンはウイリアム・アンド・メアリー大学時代にユークリッド幾何学も学習し、それ以降幾何学を大事にしている。リンカーンは独学であったが、両者とも、原論の論理の組み立て「みんなが認める公理から演繹で理論を組み立てていく」を実践しようとしている。
得られた結果た定理を暗記するのではなく、どのように論理が組み立てられたのかを実践し考え方を身に着けるような数学教育がなされるべきである。
リンカーンのように自力で考えることが大切だ。
日本国憲法は、互いに矛盾のないよく考えられた公理系の上に論理的に組み立てた体系であり、言葉は定義通りに忠実に解釈すべきで、解釈変更や拡大解釈などに詭弁の原因がある。『義務』とはすべて同等な義務であるべきなのに、恣意的に努力義務と解釈するなど、論理の焦点をわざと逸脱させたり本質を隠したりして制定時の精神を損なっている。憲法を読むにも解釈するにも、数学的な論理的態度が必要だ。これらについては、秋葉忠利「数学書として憲法を読む」、2019年数学月間講演(⇓)を参照ください。
https://sgk2005.org/bbses/bbs_articles/index/page:3?frame_id=346&page_id=97
色々な課題を解くと,フィボナッチやリュカの数列が現れることが多い.これらの数を生み出す仕組みは「再帰的」で非常に効率が良い.
ちなみに, フィボナッチ数列の再帰関係は:$${F_n=F_{n-1}+F_{n-2 } }$$
$${F_2=F_1=1}$$とすると,$${F_3=2}$$などと続き,フィボナッチ数列 1,1,2,3,5,8,13,21,34,...…が得られる.
つまり,DNAに記録された簡単な設計図の指示で成長する植物などに,これらの数列が現れるのはごく自然なことである.
フィボナッチ数列で数を生み出す仕組みは,数の本質に迫るものがあるようで,見かけは異なる課題が、フィボナッチ数列に帰着することが多い.
いくつかの代表的な課題を取り上げて,再帰関係の導出過程を「ひながた」として示しておきたいと思う.
こここで選んだ課題と解法は,①Fibonacci and Lucas Numbers with Applications, by Kosbyから引用した.
■フィボナッチについて
フィボナッチ数列1,1,2,3,5,8,13,21,34,55,89,144,233......は,各項は前の二つの項の和である.この数列は,数論において特別な役割を果たすが,多くの不思議な数値的性質を持っている.
例えば,$${1+1+2+3+5+8}$$はフィボナッチ数21より1小さい.
これらの数の2乗の和は,2つのフィボナッチ数の積になる: $${1 +1+4+ 9+ 25+ 64=8\times13}$$.
次の項との比$${1:1,2:1,3:2,5:3,8:5,...}$$は,黄金比$${Φ\approx1.618}$$に近づく.
幾何学的には,辺の長さがフィボナッチ数である正方形は,黄金の螺旋を形成するようにうまく組み合わされる.
人間がこのようなパターンに魅了されるずっと以前から,植物はフィボナッチ数の経済効率を発見していた.パイナップル,ヒマワリ,アーティチョークなど,螺旋構造を持つ多くの植物の葉や蕾には,連続したフィボナッチ数の組が見られる.パイナップルを調べると,一方向に8列,もう一方向に13列が螺旋状に並んでいるのがわかる.動物界では,ミツバチは各世代にフィボナッチ数の祖先を持つ.
ーーー以上 ②30-second Maths, Richard Brown, p.24より引用.
1202年,フィボナッチとしても知られるレオナルド・ピサーノは,著書『Liber Abaci』(計算の書)の中で,ウサギの繁殖に関する謎かけを行った.
おそらく非現実的であろうが,1ヶ月ごとに1組の成ウサギが1組の子ウサギを生み,子ウサギが成ウサギになるまで1ヶ月かかると仮定して,
1月に1組の子ウサギから始めると,12月までに144組の子ウサギが生まれる! もちろん,これはフィボナッチ数列である.-----
フィボナッチは,1202年にLiber Abaci (リベル・アバカ) 「計算の書」を出版し,アラビア数字と数学をユーロッパに導入した功績が大きい.イタリア人の商人である父と北アフリカに滞在したときに,アラビア人と共に学んだ.
■ フィボナッチ数列は簡単な再帰関係に基づき,数を生み出す仕組みだが,数学の色々な概念と結びつきがあり,いろいろな数学の分野に現れるので,良い数学分野の紹介に利用できる.
石庭の作り方
石庭を作る人は多分いないと思いますが,工事中の石庭を見て今回は石庭の話題です.地面に石を置けばできると思っていましたが,そんなに簡単ではなく工法はとても手が込んでいます.
地面を1mも堀下げ基礎をしっかり固めます.その後で,地表まで戻して,写真のような岩の配置を作ります.岩の下にあるのは花崗岩のピンコロでカマセ石と呼ばれます.
この先は,砂利を敷き砂紋を描くことになるのでしょう.
この景色が意味しているものは何でしょうか.まだ置く岩が多数あり未完成です.
龍安寺の石庭
有名な石庭に,臨済宗. 妙心寺派,龍安寺があります.私は高校2年生の修学旅行の自由時間に,ここを見に行く計画を作り実行しました.そのころ私は岩波新書の『日本列島』などを読み岩石に興味を持っていたからです.
ちょっと遠くて時間がかかったような記憶があります.私の案に賛成して同行グループになってくれた友人が何人かいました.
龍安寺の石庭の全部で15個ある石は,どの場所に立ってどの角度から見てもすべての石が見えないように造られているそうです.世界は「不完全」だと言いたげで,ゲーデルの「不完全性定理」を思わせます.
その後知ったことですが,龍安寺の石庭の15の石は,虎の子渡し[母虎1匹と子虎3匹(1匹の豹の子を含む)が川を渡る方法]の謎の答えが隠されているという説もあります.
大数の法則
コインを10回投げて,連続して表が10回出たとすると,次は裏が出る可能性が高いと思いたくなります.「表や裏のそれぞれが出る確率は同じなのだから,そろそろ裏が追いつき始めるに違いない.」
しかし,これはナンセンスです.偏りのない正しいコインなら,前回の結果がどうであれ,次回の表か裏が出る確率は,表50%,裏50%と決まっています.何回やっても確率は変わりはしない.ルーレットや宝くじでも同様で,100回まわしてゼロが出なかったからといって,次にゼロが出る確率が上がるわけではありません.
コイン,ルーレット,宝くじの玉は無生物であり,以前の結果を記憶し,その頻度を調整する能力はないはずです.
人間の時間感覚の問題で,このような錯覚に陥り易い.イタリアの宝くじで,ある数字が,ずうっと出ていないので,今度は絶対でると思い込み,破産者や自殺者を出した事例があるそうです.
十分大きな試行回数を重ねれば,それぞれの固有の確率に収束していく.これが、「大数の法則」ですが,この「十分に大きい」というのが曲者で人間の時間間隔とは合いません(試行回数の平方根に比例する速度で平均値に近づくのですが).
「まれな出来事は良く起こる」という逆説的なことも良く経験します.「まれな出来事」の起こる確率は小さいはずですが,「まれな出来事」の種類は非常に多いので,そのうちのいくつかは必ず起こる(どれが起こるかわらないが)ので,そのように感じるのでしょう.
地震と確率
地震調査委員会は,主要な活断層や海溝型地震(プレートの沈み込みに伴う地震)の活動間隔や次の地震の発生可能性を評価し公表しています.
南海トラフ地震について,マグニチュード8~9クラスの地震が30年以内に発生する確率が70~80%といわれます.これは南海トラフでは過去1,400年間に約90~150年の間隔で大地震が発生していることから,次の地震までの間隔を88.2年と予測したのが根拠です.1944年の昭和東南海地震や1946年の昭和南海地震が発生してから,2020年は約75年を経過しており,南海トラフにおける大地震発生の可能性が高まっていると言われます.太平洋やフィリピン海プレートが日本の下に沈み込むとき,引き込まれた日本列島が時々(周期的に)戻るのが海溝型の地震なので発生に周期ができます.
今年地震の起きる確率は1/88,この何十年も巨大地震が起きていないといっても,今年起きる確率はいつもと変わらず1/88と言っていいでしょうか.そうではありません.この場合の確率は一定ではないはずです.
地震は,地層にたまり続けたひずみが地層を破壊して放出される現象です.放出されるエネルギは,地層の強度や生じた断層の大きさなどから推定できます.結局,たまり続けた歪に耐え切れなくなって地層が割れるのですから,地震が発生する直前まで地層の歪は増加し続け,地震が起きる確率は,地震発生まで時々刻々増加して行くはずです.その場所で地震の起きない年月が続いた後は,地震の発生確率は高まっているというのは本当でしょう.
ヒルベルトの計画(綱領)
ヒルベルトは,1921年に「ヒルベルトの計画(綱領)」を発表します.すべての数学を公理形式で記述したいのですが,その基礎になる公理の独立性,一貫性が保証されなければなりません.ヒルベルトは,1900年に行われた講演「23の数学的問題」の2番目でもこの問題を取り上げています.
20世紀初頭は,数学者はますます複雑な問題への挑戦を進めるが,その一方で,数学への基本的な疑問も起こりました.数学とは何か?その基本法則は何か?
ダーフィト・ヒルベルトには,数学の本質に取り組むための大胆なアイデアがありました.彼は数学を骨抜きにし,単なるゲームとして扱おうと考えました.チェスがポーンやキャッスルといった駒を使ってプレイされるように,数学ゲームも基本的な構成要素は記号: 0,1,+,×,=,などで,これらを組み合わせてすべての数学が出来ています.
数学を記号のゲームに落とし込み,記号の「意味」を忘れることで,数学とは何か,その基本的なルールが現れて来ると考えました.
数学の原理「ルールの基本セット」が見つかれば,これを根拠にすべての数学的記述の証明ができるし,数に関するどのような数学的記述も真か偽かをこれで決定できます.ヒルベルトは,算術の構造の根底にある論理を利用して,究極の数学理論を見つけたいと考えました.
残念ながら,ヒルベルトの計画(綱領)が実現することはなかった.
クルト・ゲーデルもヒルベルトの計画に触発された一人で,不完全性定理の研究を行い,数学が成り立つ完全なルール・セットは誰も作れないことを証明しました.
ゲーデルの証明によれば,公理系に矛盾がなく完全であることの証明は,公理系の枠組みでできない.完全性(あるいは不完全性)を証明したり反証したりするには,公理の追加(システムの強化)が必要である.
その後,アラン・チューリングのアルゴリズムに関する研究は,任意の数学的記述の真偽を評価できる手続き(アルゴリズム)は存在し得ないことを示しました.
しかし,数値システムをゲームとして扱うという彼の「形式主義的」アプローチは,数理論理学への新たな関心を呼び起こしました.
すべての数学的問題を解決することはできないが,問題のいくつかの特殊なサブクラスは,この方法で解決することができます.今日の数学者たちは,ヒルベルトの計画から肯定的な結果を救出し続けています.
ゲーデル
算術は,0,1,2,3...という整数の体系と,それらを組み合わせる方法:加算,減算,乗算,除算で成り立ちます.19世紀後半になると,数学の基本法則を見つけることに焦点が当てられ,数学者たちが求めていたのは,算術の基本法則(ルール)のリストです.すべての数学定理は,そのルールセットから論理的に演繹できるはずです.バートランド・ラッセルとアルフレッド・ノース・ホワイトヘッドによる3巻の著作『プリンキピア・マテマティカ』(1996年)を筆頭に,いくつかのルールブック候補が登場しました.
これは,基本的仮定のリストから数学の全体を構築しようとするものであったのです.しかし,1931年,クルト・ゲーデルは,そのような完全なルールブックを作ることは不可能であるという定理を証明してしまいました.
整数に関する記述の中には,真であるにもかかわらず推論できないものが必ずある.
もちろん,ルールブックを拡張してこの記述を新しい法則として組み込むことはできるが,それでも理論には他のギャップが残ることになる.ゲーデルの定理は,それらをすべて埋めることは決して望めないことを保証しています.
その後,算術の論理体系の階層が構築され,それぞれの体系が下の体系(サブクラス)のギャップの多くを埋めていることが知られます.
「証明理論」のテーマは,これらの異なる体系の論理的な強さを比較しています.
一方,「逆数学」では,古典的な数学の結果が成立する基盤条件の理解を狙い, 与えられた定理の証明にどのような公理があるのかを正確に調べています.
この写真は,以下のサイトからお借りしました:
https://www.joh.cam.ac.uk/library/special_collections/early_books/fermat.htm
Diophantus, Arithmetica (Toulouse: Bernard Bosc, 1670). | St John's College, University of Cambridge When reviewing his copy of Diophantus in 1637, Pierre de Ferm www.joh.cam.ac.uk
フェルマーの最終定理
写真は,デイオファントスの算術書の余白にあるフェルマーの書き込みです.
ピエール・ド・フェルマーは,自分の所有するディオファントスの算術書の余白に有名な「最終定理」を書き,余白に収まらないほど長い証明を発見したという趣旨のメモも添えました.1637 年ーーーーーーー
整数$${n}$$が 2 より大きい場合,$${a^n + b^n = c^n}$$ は,非ゼロの整数$${a, b, c}$$に対して解を持ちません.私はこの命題の実に素晴らしい証明を持っていますが,この余白はそれを含めるには狭すぎます.ーーーーー
フェルマーは1665年1月12日にカストル(南フランス,バルセロナに近い)で死にます.彼の死後の1670年に,息子のサミュエルが,ディオファントスの算術書を出版したときに,父親の余白のメモや注釈すべて本文に取り入れた版にしました.これが表紙写真の貴重な書です.(フェルマーが書き込んだ原本は現在失われています)
フェルマーがどのように考えどのように証明したかは謎です.
これは見かけによらず難問で,その証明には300年以上の長い年月を要し,1994 年に至りアンドリュー・ワイルズがこれを証明しました.
デイオファントス
算術書を書いたデイオファントスとは何者でしょうか. wikiによると:
https://en.wikipedia.org/wiki/Diophantus
ディオファントスはギリシャ人で,ローマ時代の西暦200年(あるいは214年)から284年(あるいは298年)に,エジプトのアレクサンドリアに住んでいました.ディオファントスの生涯に関する私たちの知識の多くは,メトロドロスが作成した5世紀のギリシャの数遊びとパズルのアンソロジーから得られています.問題の1つ(彼の墓碑銘)には次のように書かれています。ーーーーー
ここに、驚異のディオファントスが眠る。代数術によって、石碑は年齢を告げている。「神は彼に、人生の 6 分の 1 の少年時代を与え、さらに 12 分の 1 はひげが生える青春時代、そして結婚が始まる前の 7 分の 1 を与え、5 年後に元気な息子が生まれた。悲しいかな、師匠であり賢者の愛する息子は、父の人生の半分を達成した後、冷たい運命に捕らわれた。4 年間、数の科学によって運命を慰めた後、彼は自らの命を絶った。」ーーーーー
このパズルから、ディオファントスの年齢$${x}$$が次のように推定できる.$${x = x/6 + x/12 + x/7 + 5 + x/2 + 4}$$ を解いて,$${x=84}$$
ディオファントスの活躍した時代は西暦200年頃ですが,その算術書は,9世紀にアラビア語に翻訳され,ヨーロッパの中世暗黒時代を経て,ギリシャ語からラテン語に翻訳されました.1621年のラテン語翻訳のデイオファントスの算術書が,広く入手可能な最初のものでした.ピエール・ド・フェルマーはそれを所有し,研究して余白に書き込みをしたのです.
フェルマー
彼の名を冠した定理が何世紀にもわたって謎に包まれていたので,フェルマーは数学者以外の人々にも最もよく知られるようになった数学者の一人です.幾何学,確率論,物理学,微積分学の分野で独創的かつ重要な貢献をした学者ですが,フェルマーは生涯アマチュアであることを頑なに守りました.彼は自分の考えや発見をすべて手紙や手稿の形で伝え,出版はしませんでした.
彼は昼間は弁護士としてトゥールーズの議会議員を務めていて,学問の世界に身を置かなかったので,厳密な証明や査読などを受ける必要もありません.実際,同僚たちの中には,「フェルマーが証明を出さないのは,証明がないからだ」と陰口をたたく者もいたし,「フェルマーは常に,解くのが難しすぎる問題で挑んでくる」と揶揄する者もいました.しかし,フェルマーは,いくつかの問題には解がないことを証明したと反論しました.
ニュートンは,フェルマーの曲線と接線に関する先駆的な研究とその発展がなかったら,微分積分に到達できなかったと公言しています.彼はパスカルと有名な文通をしており,その中で2人はギャンブルの問題を研究し,確率論の原理を考え出しました.
フェルマーはまた,幾何学理論についてデカルト(数学者の中で最も気難しい数学者であることは間違いない)と対立し,デカルトが幾何学理論を発表する1年前に独自の理論を発表しました.フェルマーが正しかったが,デカルトは自分の影響力とコネを使ってフェルマーの名を汚し,その評判を矮小化したのです.論争もし,最後まで聡明で謎めいた存在であったフェルマーは,解けない謎を残して死にました.その最終定理は,彼の死後300年以上も未解決のままであったのですが,1994年に証明されました.
始まりは整数の集合
ものを数える数1,2,3,4,..…は自然数と言います。整数は正の整数(自然数と0)、および、負の整数の集合です。整数集合上で、加算と乗算はできます。つまり、任意の整数の和(加算)は、やはり整数。任意の整数の積(乗算)は、やはり整数になるので、整数集合は、加算や乗算について閉じています。これを、加法(あるいは乗法)について、整数は「環」をなす(整数環)といいます。同じ演算が続いているときには、どちらを先にやっても結果は同じだということを結合的と言います。加算や乗算は結合的です。例えば、$${a+b+c=a+(b+c)=(a+b)+c}$$。
さらに、$${a\times (b+c)=a\times b+a\times c}$$という分配則を定義すると、この集合上で加算と乗算という2種類の演算の両方を行うことができます。
「群」と言う代数系は「環」に条件を2つ追加したものです。整数環の集合を例にすると、加法演算でこの集合は閉じており、演算の結合法則も成立しています。これが加法群になるかどうか、単位元の存在と逆元の存在を調べましょう;①加法の単位元0は整数の集合に存在します。②それぞれの要素の逆元は、正負の符号を変えればよいので、もちろん整数の集合には存在します。従って整数の集合は「環」であると同時に「加法群」でもあるわけです。乗法に関しては、単位元1は存在しますが、逆元がない要素もありますので、この集合は「乗法群」にはなりません。
有理数の集合
整数の集合上で、加算の逆演算「減算」はできるのですが、乗算の逆演算「除算」はできません。任意の2つの整数の間での除算の結果が整数になるとは限らないからです。そこで、整数の集合に分数を追加し拡張した新しい集合を考えると、この集合では、四則演算ができるようになります。整数は分数の特殊なケースですから、この拡張された集合は、分数の集合、つまり「有理数」集合です。
有理数の集合内で、四則演算は自由にできます。このような代数系を「体」と言います。
実数の集合
数直線上に分数を並べたとすると、任意の2つの分数の間に、また分数を作ることができ、これは際限なく続けられますから数直線は分数でぎっしり詰まっているように見えます。古代ギリシャでは数直線上のすべての数字は有理数(分数)であると信じていました。しかし、ピタゴラス派は$${\sqrt{2}=1.414・・・}$$は分数で表せないことを発見し慌てました。MetapontumのHippasusはその秘密を守るために殺されたと言います。分数を小数で表現すると、無限に続く場合でも必ず有限の繰り返しが現れます:3/11=0.272727・・・。しかし、$${\sqrt{2 } }$$や, $${\pi=3.14159265・・・・}$$などは、繰り返しが現れることがないのです(この小数は分数で表現できません)。それらは無理数と呼ばれます。数直線上には、このような無理数もたくさんあります。そこで、有理数と無理数の集合を合わせて実数の集合ができます。数直線は実数の集合で出来ています。実数の集合は「体」です。有理数の集合は実数の集合の中に含まれ、「体」の条件を満たします。
定規とコンパスで作図不可能
(1)与えられた円と同じ面積の正方形を作図:
(2)与えられた立方体のちょうど2倍の体積の立方体を作る
(3)任意の角度の3等分の角度を作図
これらはギリシャ時代から研究されている有名な問題です。立方体の倍積問題はデロス問題ともいわれます。問題の起源にデロス島のアポロンの祭壇が関係するからです。(表紙写真)
任意の角度の3等分や立方体の倍積問題は、整数係数(有理数係数といっても同じ)の3次方程式を解く問題になります。定規とコンパスを有限回使っての作図は、四則演算と開平(平方根)の作図ですから、3次方程式の解が係数の四則演算と開平の組み合わせで表示できなければ作図は不可能です。現実には、どちらも3乗根が出てきますから作図はできません。
(1)の問題に関しては、半径1の円の面積は$${\pi}$$ですから、面積が等しい正方形の一辺は$${\sqrt{\pi } }$$で、$${\pi}$$の長さでさえ作図できません。
これらの問題に対する解は実数集合には存在しますが、有理数への四則演算と開平だけでは解が作れないということです。
実数集合まで数の概念を広げると色々な方程式が解をもつことができます。
整数係数(有理数係数)の多項式方程式、例えば
$${3x^2+5x-1=0}$$などは2次方程式の例です。2次方程式、3次方程式、4次方程式の解の公式は16世紀までに解かれましたが、一般の5次方程式あるいはそれ以上の方程式の解の公式は作れないことの証明はアーベルの時代までかかりました。
複素数の完成
$${x^2+1=0}$$は解がありません。なぜなら、2乗して負になるような数は実数にはないからです。この方程式も解を持つようにするには$${x=\sqrt{-1}=i}$$という虚数を定義する必要があります。こうして複素数の集合にたどり着きました。複素数は「体」の代数構造です。複素数の範囲で、ほとんどの方程式が解をもつようになりました。
Abraham Lincolnリンカーンのゲティスバーグ演説(1863)は;
Four score and seven years ago our fathers brought forth on this continent a new nation, conceived in liberty, and dedicated to the proposition that all men are created equal. -----------
で始まります。演説英文は以下のサイトから引用しました:
chrome-extension://efaidnbmnnnibpcajpcglclefindmkaj/https://www.fukaya-toyosato-j.ed.jp/?action=common_download_main&upload_id=3296
scoreとは20のことです
4score and 7 years ago=4x20+7=87years agoと言うことになります。
「4世代と7年前」という訳を見かけますが、それではちょっと計算が会いませんね。「87年前」と訳すべきです。
スコアという単語は、20進法が使われていた名残です。20進法は古代マヤでも使われました。ダース、グロスは12進法が使われていた名残です。
古代バビロニアでは60進法が使われていました。
私たちは10進法が当たり前に見えるほど慣れてしまいましたが、色々な基数を用いた記数法があったのです。
コンピュータのコードは2進法(0か1しか数字は用いません。バイナリーといいます)が使われます。
n進法の基数はnです
例えば,10進法なら,4桁の数字$${abcd}$$の位取りは
$${10^3 10^2 10^1 10^0}$$ですので,数字$${abcd}$$は,$${a・10^3+b・10^2+c・10^1+d}$$の数値になります。数記号$${a,b,c,d}$$のそれぞれは,0,1,2,・・・・・,9の10種類のうちのどれかです。
2進法なら,4桁の数字$${abcd}$$の位取りは
$${ 2^3 2^2 2^1 2^0}$$なので,数字$${abcd}$$は,$${a・2^3+b・2^2+c・2^1+d}$$の数値です。数記号$${a,b,c,d}$$のそれぞれは,0,1の2種類のうちのどれかです。
もちろん、これらの記数法は、小数点以下にも適用できます。記数法の基底が$${n}$$の場合,小数点以下の位取は以下のようになります:
$${. n^{-1} n^{-2} n^{-3} ・・・・・}$$