数学月間の会SGKのURLは,https://sgk2005.org/
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ジョゼフ゠ルイ・ラグランジュ(1736年 - 1813年);数学者,物理学者,天文学者は,オイラーの弟子で,フランス革命の前後の時代を生きた.
彼は,微分積分学を物理学へ適用し,最小作用の原理,解析力学を創出した.
ラグランジュによる『解析力学』は,ラプラスの『天体力学』と共に18世紀末の古典的名著とされる.
最小作用の原理の起源といえば,1696年のスイスの数学者ヨハン・ベルヌーイの「最速降下曲線」問題に言及せねばなりませんが,そのトピックは以下でご覧ください:
https://note.com/sgk2005/n/n7b4803b9a981
■ 変分原理
始点$${(t_0, q_0)}$$と終点$${(t_1, q_1)}$$に対し,この2点を結ぶ2つの道筋が図示されている.2つの道筋は始点と終点では一致している.同一時間における道筋の差$${\delta q}$$を変分という.
ラグランジュ関数$${L(q, \dot{q}, t)}$$ として,$${S=\int_{t_0}^{t_1}L(q,\dot{q},t)dt}$$ をラグランジュ関数$${L}$$の作用という.$${L}$$の変分は
$${\delta L=\frac{\partial L}{\partial q}\delta q+\frac{\partial L}{\partial \dot{q } }\delta \dot{q}=\frac{d}{dt}(\frac{\partial L}{\partial\dot{q } }\delta q)+\delta q(\frac{\partial L}{\partial q}-\frac{d}{dt}\frac{\partial L}{\partial\dot{q } })}$$
$${\delta S=\int_{t_0}^{t_1}\delta q(\frac{\partial L}{\partial q}-\frac{d}{dt}\frac{\partial L}{\partial\dot{q } })dt}$$
現実に起こる運動はラグランジュの方程式を満たすので,変分は0で作用は停留値をとる.
$${\displaystyle \frac{d}{dt}\displaystyle \frac{ \partial L}{ \partial \dot{q}_{\alpha } }-\displaystyle \frac{ \partial L}{ \partial q_{\alpha } }=0}$$
Lagrangeラグランジュの方程式
$${L(\dot{q}_{\alpha } , q_{\alpha }, t)=T-U}$$
Lagrange関数(系の運動エネルギーと位置エネルギーの差)$${\dot{q}, q}$$は一般座標での速度と位置
ラグランジュの方程式から,ニュートンの方程式を導くことができるが,複雑な系でもラグランジュ関数を書き下すことは容易なので,広範に応用できる.
Lagrange関数から色々な力学量を導くこともできる.
例えば,系の全エネルギーは$${E=\dot{q}_{\alpha}\frac{\partial L}{\partial \dot{q}_{\alpha } }-L=T+U}$$
中心力場で角運動量を求めたり,軌道を決定したりできる.
ニュートンの運動方程式がケプラーの法則と一致することも示せる.
量子力学への移行では,エネルギー(ハミルトン演算子)$${E=\frac{p^2}{2m}+U}$$で,運動量演算子の置き換え$${p→ \frac{h}{2\pi i}▽}$$ をして,ハミルトン演算子$${H}$$を作ったことを記憶しているだろう.
$${H=-\frac{(h/2\pi)^2}{2m}+U}$$
■最小作用(停留値)の原理
ある力学系でLagrange 関数$${L(q, \dot{q}, t)}$$が与えられたとする.
$${S=\int_{t_0}^{t_1} L(q, \dot{q}, t)dt}$$をその系の作用という.
モーペルテュイは,「始状態から終状態への運動経路には,作用と呼ばれる 量が定義でき,作用が最小となる経路が実現される.これが物理学のみならず,万物の運命を決める外界の原理である」という着想ーーー”最小作用の原理”(1744)を得た.モーペルテュイは,1744年に光学現象(光の直進・反射・屈折)に即してこの原理を述べた.
たしかに,現実の運動では,しばしば作用が極小になるものが見られるが,正確には,「作用が停留値をとる経路が実現する」というのが正しいことが後にわかる.適当な作用を見つければ万物の運命が分るというのは神秘的だが魅力的な着想ではある.
オイラーは,モーペルテュイの作用量の定義を積分に拡張し,最小作用の原理をさまざまな力学課題に適用できるようにし,最大または最小の性質をも つ経路曲線を見出す方法を発表した(1744). これを読んだ若き日のラグランジュは変分法を発明し,オイラーに手紙(1755)を送った.オイラーは,ラグランジュの方法を採用し,『変分法の原理』 (1766)を出版する.
変分法により導かれる運動方程式が,オイラー=ラグランジュ方程式といわれる所以だ.
その後,ラグランジュは,『解析力学』(1788)を出版する.その序文に「 本書には図はーつも出てこな い.・・・・所定の手続きに従い進める代数計算だけだ.・・・・」と高らかに宜言する.こうして,複雑な力学問題も解ける一般化された手法が確立された.
力学系を記述するラグランジュ関数を求め,ラグランジュ関数の作用積分が停留値をとる条件を変分法で解くと,オイラー=ラグランジュ方程式が得られる.
系のラグランジュ関数は,$${L(q, \dot{q}, t)=T-U}$$,ここで,
$${T, U}$$はそれぞれ,運動エネルギー,位置エネルギーである.
普通,位置エネルギーは座標$${q}$$だけの関数だが,複雑な系では,位置エネルギーも速度$${\dot{q } }$$に依存することもある.
ラグランジュ関数は,電磁場に置かれた荷電粒子にも定義され,光(電磁力学)も力学も統一して扱える原理ができた.
変分原理から,ニュートンの運動方程式は導出できる.その上,変分原理は,ニュートン力学より一般化された外界の原理である.20世紀に入り,量子力学が誕生した時もこの原理が手掛かりになった.光や物体の運動が,作用積分を停留化する経路を選択するというのは不思議といえば不思議,当然といえば当然だ.
科学と数学の関係を語るとき,「科学の発展に必要だった数学がいつも先回りして用意されていた」とよく言われます.ドラマティックにそのような脚色をした本も多いようです.
ある数学の出現が,天才による閃光のようだとする見方もあれば,その数学の出現は必然(時期が熟したためであり,その時期にその分野に係わっていたのが幸運だった)とする見方もあります.後者の見方は,同じ時期に同じ結果を複数の人が発見する事例が良くあることの説明にもなります.どちらの見方も最もな言い分です.
数学は,現場(科学)から生まれたとするか,それとも,科学に先んじて数学が独自に生まれたとするか,これらも両極端な見方です.
数学の源泉が現場にあったことも事実ですし,数学から数学が生まれたのも事実です.
19世紀末(1890~1894年)に,フェドロフ,シェンフリ-ズ,バーローがそれぞれ独立に結晶空間群230種類を数え上げていました.これらの3人のうちシェンフリーズはドイツの数学者ですが,フェドロフはロシアの鉱物学者,バーローはイギリスの実業家です.
レントゲンによるX線の発見(1895年)は20世紀の幕開け前夜です.すぐ20世紀に入り,結晶を回折格子としたラウエの実験(1912年),X線結晶構造解析のブラック親子(1915年)と科学の発見が続きます.
ブラック親子のX線結晶構造解析に必要な,空間群の230種類の数え上げは,「さあ,お使い」とばかりに準備されていました.ドラマティックですね.数学が科学的発見より先んじていた例に良くあげられます.
しかしながら,数学を突然出現させるのは,演出が過ぎるというものです.17世紀中葉からの結晶に関する多くの観察実験により,「結晶は単位胞が積み重なったデジタル(離散的な周期的構造)世界でなければならない」と推論されていました.それは,ステノ(1669年),リスル(1772年)の「面角一定の法則」,アウイ(1783年)の「有指数の法則」,ミラー指数(1839年)などの積み重ねの結果です.実際これらに貢献したのは数学者ではなく現場の科学者で,結晶学と整数論がともに進んできた道です.
ブラベーの格子の対称タイプの数え上げ(1848年),ヘッセルの結晶点群の数え上げ(1830年)などを経て,空間群の数え上げに至ります.
しかし,これらをもって数学と言うならば,数学は科学の現場で育まれたのです.
さらに洗練された数学的概念の関与で,数学の登場となります.空間群の直積や半直積への分解や正規部分群の拡大などの群の成り立ちの研究になってからではないでしょうか.
数学月間の狙いは,「数学が基礎科学も含めて社会を支えていることを,数学嫌いの市民に気づいてもらい,数学アレルギーを無くそう」とういうものです.その数学の源泉は何かの現場(科学や社会)に無縁ではないはずです.そして,数学の本質は論理なので,数学を抽象化し洗練すれば,数学から数学が生まれる宿命にあるのも確かです.やがて,その数学の源泉は見えなくなるのですが,そのように抽象化純粋化された数学も源泉につながっていたことを忘れたくはありません.
「・・・・・多くの数学者は物理学その他の分野との関係を見失い,一方,物理学者は数学者の関心と問題意識,その方法と語法が理解できなくなっている.これでは,科学の発展の流れは次第に細かく枝分かれし推量を失い,ついには干上がってしまうであろう.・・・・・」R.クーラントの『数理物理学の方法』(1924)の序文からの引用.
これが書かれたのは今から100年前ですが,このような状況は現在も同じです.
数学の源泉が良くわかる数学と科学現場が一体であった以下の時代を,これから考察しましょう:
●14世紀末~16世紀初頭
ルネッサンス人というのは多分野に天才であった人たち(数学者で科学者で芸術家でというような)が活躍し,数学研究が孤立していなかった面白い時代です.タルタリア,カルダーノ,デカルト,フェルマーなどの時代です.
●17世紀~19世紀
次に,ニュートン,ライプニッツ,ガウス,フーリエ,ダランベール,オイラー,ラグランジュ,ベルヌーイ,パスカル,マックスウェルなどの時代があります.この時代も科学と数学は一体で発展し面白い時代でした.
1687年に粒子に対するニュートン力学,1873年にマックスウエルが波動である電磁気学を確立し,古典物理学のパラダイムが完成しました.20世紀になるとこれらのパラダイムはミクロの世界で破綻し量子力学の誕生になります.
次回から,古典物理学の完成時に戻り,数学と物理学に大きな影響を与えた,以下の2つの話題を取り上げます:
■ラグランジュ 解析力学
■マックスウェル 電磁力学
ポリカ波板6枚を切った.私は万華鏡材料のステンレス板も切れる強力な金切りバサミを持っているので,オーバースペックだがポリカ切断には切れ味的には問題はない.しかし,形状が波板という所にやっかいな問題がある.このハサミは切断した帯を側面後方に逃がすのだが,帯が通り抜けるスリット幅が5mm(5mm厚以上のステンレス板は切らないので当然)で,長さは10mmくらいある.波板はうねりの振幅が10mm,ピッチは32mm.もしハサミのスリット幅が10mmだったら,波板切断にも対応できる非常に便利な金切りバサミになるだろう.
世の中には,波板専用の切断ハサミというものも存在するが,たまにしかやらない作業に特殊な工具をそろえていては切りがない.
そこで次の問題を思いついた:ピッチ32mm,振幅10mmのsin曲線のグラフを,長さの10mmの筒の中を通り抜けさせるためには最小でいくらの筒の幅が必要だろうか(表紙図).答えはまだ考えていません.
さて,何か手段はないかと色々工夫するのだが大抵失敗する.辛抱強く少しずつ切り進むのが一番良かった.スリットを通過する場所を局所的に少し伸ばして波板のうねり振幅を薄くして切り進むと多少は効果がある.
結局、全体はうねっているのだが,気にせずに,スリットを通過する場所だけ平坦(局所的に)と見て少しずつ切り進んで行けば,いつかは全体を切断することができる.作業しながら,波板の表面は接平面を繋いで出来上がっている多様体だななどと考えていた.
放射光SPring8の建屋は円形である.廊下を歩くとき先を見れば廊下が円形に続いていることが良くわかる.しかし,自分の周りだけ見れば廊下は直線で出来ている.部屋も壁もドアーもそべて直線で出来ている.どこもカーブしていないのだが,全体としては廊下は円形になっているので不思議な気分になる.
地球だって自分の周囲の地面は平坦にしか見えないのに,地球全体の形は球形である.水平線を見渡せるような景色でも見ない限り地球が丸いことを実感しない.でも実際,小さな接平面を繋いでいくと球形の地球になってしまう.
閑話休題,ポリカ波板で何を作ったかといえば,ブドウ棚の雨除け屋根を作った.雨に濡れてシャインマスカットに黒とう病が発生したからだ.トップジンで消毒した.4年にもなるので元気に育ってほしい.
◆数学には多くの大きな発見がありますが,他の人が理解できるものだけが進歩につながります.数学的概念の理解の容易さや使用の普及は,その表記法が便利かどうかに依存します.たとえば,ローマ数字で2つの数を掛け算をするのは大変です:
MLXXXIV と MMLLLXIX を掛け合わせなさい.全然できません.
加算の場合は別で,この場合はローマ数字の作り方そのもので,容易にできます.ですから,ほとんどの計算を数字の加算で行っていた商人は,ローマ数字の使用をあきらめようとなかなかしませんでした.
注●
ローマ数字は,各アルファベットが表す数を足せばそのまま数になるようになっている.例えば,①1を表すアルファベットは‘I’,‘II’なら1が2つ並ぶので2,‘III’なら3を表す.②同じ文字が4つ並ぶのは禁止で,4は「5の1つ前」と考えて‘IV’と表す.③‘V’は5に対応するアルファベット,10は’X’に,50は’L’に,’C’,’D’,’M’は,それぞれ,100,500,1000に対応させる.
MLXXXIVは,1000+50+30-1+5=1084;
MMLLLXIXは,2000+150+10-1+10=2169 です.
和はMMMCCXLXIIIになります.
数学を発展させるには,このローマ数字の表記法では無理です.
和算も同様で,優れた数学がありましたが,表記法では不利な立場に置かれ理解が広がりません.結局,数学の発展についていけませんでした.
◆微分でのニュートンの記法は関数名の上に”ドット”をつけるもので,
x(t) の1階微分はx˙(t),2階微分はx¨(t)などとするものです.
これは速度や,加速度の表記には便利ですが,高階の微分の表示には向かないし,微分する変数が1変数なら良いが多変数になると使えません.ライプニッツの表記法なら,微積分学の概念を容易に拡張できました.
イギリスの数学者たちは,愛国心からニュートンの記法を用いていたが,ライプニッツに倣った大陸の数学者たちと比べて不利な立場になりました.
関数の微分では,このほかに,ラグランジュの表記法f′(t)なども使われます.
◆数学上の発見の評価は,現在の視点からのその影響度と洗練度でなされるでしょう.それしか方法はないのですが,現在の私たちの視点と何世紀も前の数学者たちの視点は違うことを忘れないようにしましょう.
今日の数学の教え方は,往々にして過去の難解さを理解できなくしています.ただし,それはそれで,効率的に数学の理解ができる利点はあります.
数学上の主要な発見の素晴らしさの評価は単純ではありません.それらは,閃光のように見えますが,実際には,多くの数学者たちによる長年にわたる研究の集大成です.
微積分を最初に発見したのはニュートンかライプニッツかという論争がありますが,ニュートンが師バローから微積分を学んだことは間違いありません.もちろん,バローが微積分を発見したわけでもありません.微積分はギリシャ数学に始まる長い進歩の過程を経て生まれたものです.フェルマーやライプニッツも係わっています.
数学の主要な発見は,「適切な時期」にそのテーマに取り組んでいた幸運に置かれれば,誰でもできたと思える面もあります.でも,これも偏った見方です(なぜ二人以上の人が,ほぼ同時に独立に同じ発見をしたかの説明には,ある程度役立ちますが).発見の中に,天才的なひらめきが確かに存在し,それは,より深い理解や,特定の概念の重要性をより明確に理解したことから生まれます.
新しい概念の発見は奥が深い.その簡単な例は,
2個のリンゴを3個のリンゴに加えること(加算)の誕生です.
リンゴだけでなくあらゆるものの集合の抽象的な性質として, 2や3などの数字の世界が生まれることで,数え上げから数学の領域へと移行しました.
負の数の導入も長い苦労の末にようやく実現しました.
現在の視点から当たり前に思えることでも,そのときの困難を理解することは、小学生を教えようとする教師にとって有益です.
ネイピア,ブリッグスらは,約400年前に対数を考えました.対数はそれから350年間,算術計算の主なツールとして使われました.科学で必要な膨大な計算は,対数なしではできませんでした.その後世界は変わり,コンピュータが登場しました.さて,この先何がコンピュータに取って代わるのでしょうか.ネイピアが対数と同時に機械式コンピュータの基本概念を発明したことを思い出してください. より高速なコンピュータ,より小型のコンピュータ,より高性能なコンピュータは思い浮かべることはできますが,コンピュータと対数表が異なるくらい,コンピュータと画期的に異なる何かが思いつきますか.量子コンピューティングかも知れませんね?いずれにしろ,
非ユークリッド幾何学,群,一般相対性理論,集合論などの発明がいかに困難であったかが分かります.
3⃣回目は,確率と統計に関する話題です.(引用)30-second MATHS
■ ジローラモ・カルダーノ
1501年9月24日,イタリア,パヴィアで生まれる.
1520年パヴィア大学に入学.1525年パヴィア大学で医学博士号を取得;
ミラノの医師大学に入学を志願するが,1539年まで不合格.
1526年,Liber de ludo aleae『さいころあそびについて』を著す.
死後1663年に出版.これは,確率に関する最初の数学書.ブレーズ・パスカルやピエール・ド・フェルマーより1世紀も先んずる.【出典・ブリタニカ】
1536年,De malo recentiorum medicorum usu libellus『現代の医師による治療間違い100事例』を著す.
1545年,Artis magnoe, sive de regulis algebraicis『アルス・マグナ』を著す.この本には,ヴェネツィアの数学者ニコロ・タルタリアに負う三次方程式の解と,カルダーノの元従者ルドヴィーコ・フェラーリが発見した四次方程式の解が含まれる.【出典・ブリタニカ】
1576年9月21日,ローマで死去.
医師,数学者,地質学者,自然科学者,錬金術師,占星術師,天文学者,発明家であるカルダーノは,ルネサンス人(多方面に一流の能力を示す)の化身であり,レオナルド・ダ・ヴィンチの暗い鏡である.ダ・ヴィンチと家族ぐるみの付き合いもあった.レオナルド・ダ・ヴィンチは名声と栄光を手にしたが,カルダーノは不愉快な性格と超批判的な態度で,その才能を無にしてしまった.その知性は大いに求められたにもかかわらず,行く先々で嫌われることになった.
彼は,父の下で学んだ数学に転向し,2冊の本を書いた.そのうちの一冊『アルス・マグナ』(1545年)は,3次方程式と4次方程式の解法に取り組んだルネサンスの重要なテキストである.
彼はニッコロ・タルターリアから3次方程式の解法証明を引き出し,カルダーノは6年間は出版しないと約束したのだった.しかし,タルターリアが真実を略していたことを知り,カルダーノは出版に踏み切り,タルターリアや多くの敵から非難された.
カルダーノはギャンブルにはまっていた.ギャンブルは得意で,『Liber de Iudo aleae(さいころあそびについて)』という本を書いた.この本はギャンブラーやカジノのオーナーには大変人気がある.
カルダーノは,長く多作だが混沌とした生涯を送った後,1576年9月21日に死去した.彼は自分の死を時間まで予言していたと言われている.また,自分の予言が外れたことが証明されないように,約束の時刻に自殺したとも言われている.********************************************************
■ オッズと確率
●オッズとは,何かが起こる可能性を,それが起こらない可能性に対して測定して表す.
ある事象が起こる確率を p,起こらない確率を 1−pとすると,
起こるオッズは p/(1−p),起こらないオッズは (1−p)/p である.
例えば,標準的なダイスで4が出る確率は1/6,4が出ない確率は5/6である.
4が出るオッズは (1/6)/(5/6)=1/5,通常の方法で表現なら,4が出るオッズは1:5となる.
反対に4が出ないオッズは5:1である.これは,「勝つ1つの方法に対して負ける5つの方法」があることを意味する.
●確率とは,特定の事象が起こる可能性を,起こりうるすべての結果と比較する ことによって表現する方法である.
可能な結果の数に対する望ましい結果の数の比であり,0(可能性ゼロ)から1(確実)の間の数で表される.
例えば,フルデック(トランプの全カード)からカードを選ぶとき,ハートを選ぶ確率は13/52 または 1/4 である.
つまり,ハートを選ぶ確率は0.25である.
ブックメーカーは,起こりそうもない出来事(ロングオッズ)に対して,より良いオッズ(そしてより多くのお金)を提供するが,確率は低い.40対1の馬に賭けるのは要注意,可能性はあるが,勝つ確率は1/41だ.
一方,2対3のようなショートオッズは,人気馬(勝つ確率は3/5)であり,勝つ確率は高いが配当は少ない.
■ ゲーム理論
何千年もの間,人々は三目並べからチェスやチェッカーに至るまで,戦略ゲームを楽しんできた.ジャンケンを例にすると,相手の行動にパターンを見いだせない限り,長期的な戦略としては,3つの選択肢から毎回ランダムに選ぶのがベストである.この方法でプレイすると,勝ったり負けたり引き分けたりが均等に起こる.これはゲームの「均衡」と呼ばれるもので,両プレイヤーがこの戦略を使っているかぎり,どちらかが戦術を変えて勝利数を増やすことはできない.
ゲーム理論の中心は,ジョン・フォン・ノイマンによって証明され,ジョン・ナッシュによって拡張された,膨大な種類のゲームが均衡を持つことが保証されているという有名な事実である.
ゲーム理論はゲームの研究を超え,政治学から人工知能にまで応用されている.しかし,ゲームにはまだ課題がある.2007年,カナダのジョナサン・シェーファー教授らは,チェッカーゲームにおける無謬の戦略を開発した.彼らのプログラムは絶対に負けない.しかし,コンピューターはチェスでは人間を打ち負かすことができるものの,このような完璧な戦略はまだ遠い夢である.障害となっているのは,チェスのゲーム展開の仕方が,宇宙に存在する原子の数をはるかに凌ぐためだ.
■ ベイズの定理
ある病気の検査の精度が90%だとする.ここで,無作為に選ばれた人ボブが,陽性と判定されたとする.
ボブが実際にその病気にかかっている確率は?
この質問は答えられない!もう一つ追加情報が必要だ.
すなわち,その病気がどのくらい一般的な病気なのかという情報で,
ランダムに選ばれた人がその病気に罹患している確率を知る必要がある.
仮に人口の1% がその病気に罹患しているとしよう.ベイズの定理は,検査が陽性であった場合に,その人がその病気に罹患している確率を求める方法を教えてくれる.1,000人の集団で,平均10人が病気を持っている(1%)として,そのうち9人が検査陽性(「真陽性」)となる.残りの990人は病気を持っておらず,そのうちの10%,つまり99人が検査陽性(「偽陽性」)である.偽陽性は真陽性より多く99対9で,ボブが病気である確率は11対1である.
ベイズの定理における事前確率の出現は,試行を繰り返して事象の頻度を決定しなければ,事象に意味のある確率を割り当てることはできないことを示唆している.
●ベイズの定理は,18世紀のイギリスに住んでいた長老派の牧師,トーマス・ベイズ(1702頃-1761)にちなんで名づけられた.
●偽陽性
医学的検査において,様々な要因により,実際には陰性であるはずの検査結果が陽性となってしまうこと.多くの検査環境において偽陽性が発生するため,陽性と判定される確率を正確に判断することは,事前確率を計算するのに十分なデータが揃うまで不可能である.
●真陽性
真陽性は真に正確な陽性結果であるが,偽陽性は検査の不正確さや失敗によって生じる不正確な陽性結果である.
●事前確率
統計学において,新しいデータや証拠が他の確率を計算する前に設定される事象の確率.事前確率は,確率のベイズの定理において重要な役割を果たす.
■中心極限定理
コイン投げなどの同じ条件で何度でも繰り返すことができる偶然の結果を伴う(ランダム)実験は,十分な試行回数があれば,出来事の頻度はそれが起こる確率に非常に近くなる.
大きな母集団を研究する場合も同様で,サンプル・サイズが大きければ大きいほど,出来事の頻度は,それが起こる確率に非常に近くなる.サンプルの平均は母集団の平均をよりよく表す.
平均値の推定精度は,標本サイズの平方根で良くなる.そして,測定対象のばらつきが大きい場合,良い推定値を得るにはより大きな標本が必要になる.この法則は,十分なデータがあれば,常に必要なだけ良い推定値が得られることを保証している.
確率と頻度の関係を示す最初の重要なステップは,1713年にヤコブ・ベルヌーイによってなされた.その150年後,イレーヌ=ジュール・ビエナイムとパフヌティ・チェビチェフの研究によって,これはさらに強化され,1909年,エミール・ボレルによって,推定値が最終的にわれわれの望むとおりになることの証明が完成した.
●中心極限定理
確率論で,サイコロ投げのような同等なランダム変数は,十分な試行回数を重ねると,その平均値は正規分布に向かうというのが中心極限定理である.その結果をグラフにプロットすると釣鐘型曲線を描く.
■ ランダム性のチェック
表(H)と裏(T)が連なる2つの長い列があり,それぞれがHHTHTHで始まるとしよう.一方は本当にランダムで,偏りのないコインを繰り返し投げた結果であるが,もう一方はそうではなく,人間が注意深く選んだものである.
どちらがどちらかを見分ける方法はあるのだろうか?
真にランダムならば,長期的には表と裏が同じ頻度で現れるはずである.
しかし,これだけでは十分ではない.すべての結果のペア(HH,HT,TH,TT)は,平均して,他のすべてのペアと同じ頻度で出現するはずである.すべての3連,4連,さらに長い配列についても同様である.
しかし,人為的にこれらの条件を満たすことは可能なので,これらすべてでも十分ではない.
最も単純な配列はHHHHHHH...で,これは明らかにランダムではない.他にもまだある.これは簡単に圧縮できるのだ.「100万の表」という表現は,この配列順序を非常に簡潔に表しており,誰でも完璧な精度で伝達し,再現することができる.
しかし,真にランダムな配列順序を圧縮することはできない.ランダムな配列順序を誰かに伝える唯一の方法は,それを全部書き出すことである.ランダム性と非圧縮性は本質的に同じものなのである.
ランダム性を数学的に検出するのは非常に難しい.
インターネットはバイナリ・シークエンス(0と1の長い文字列)で動いている.これをコンピュータが,私たちの使いたいプログラムやファイルに変換できる.最大限の効率を得るためには,これらの文字列はファイル圧縮ソフトを使って可能な限り圧縮する必要がある.
文字列が圧縮されると,予測可能なパターンや繰り返しパターンが取り除かれ,純粋にランダムなシークエンスと見分けがつかなくなる.したがって,完全に 圧縮された情報は,数学的には ランダムと同じである.
どの配列がランダムなのか?数学者でさえわからない。
■ ギャンブラーの誤謬 - 平均値の法則
コインを10回投げてすべて表が出たとき,次は裏の可能性が高いと主張したくなる.人々はこう言う.「表と裏が同じ確率であるという平均値の法則に従えば,裏が追いつき始めるに違いない」
ナンセンスである.いかさまなコインでなければ,前回の結果がどうであれ,次回に表か裏が出る確率は,表50%,裏50%と決まっている.ルーレットや宝くじも同様で,100回まわしてゼロが出なかったからといって,次にゼロが出る確率が上がるわけではない.イタリアで,53という数字が2年以上も宝くじに当たらなかった.その結果,多数の破産者と自殺者が出した.
コイン,ルーレット,宝くじの玉は無生物であり,以前の結果を記憶し,その頻度を調整する能力はない.
確率は,長い目で見れば,それぞれの確率に落ち着くだろう.いかし,それには本当に長い時間がかかる!
「平均値の法則」は,厳密には「大数の法則」の言い換えであり,過去の結果が直近の結果に影響を及ぼすと主張するために使うことはできない.
■ 確率の感じ方
人間の時間感覚の問題で,このような錯覚に陥り易い.イタリアの宝くじで,53という当たり番号が出ていないので,今度は絶対でると思い込み,破産者や自殺者を出した事例の紹介がありました.
十分大きな試行回数を重ねれば,それぞれの固有の確率に収束していく.これが、「大数の法則」ですが,この「十分に大きい」というのが曲者で人間の時間間隔とは合いません(試行回数の平方根に比例する速度で平均値に近づくのですが).
「まれな出来事は良く起こる」という逆説的なことも良く経験します.「まれな出来事」の起こる確率は小さいはずですが,「まれな出来事」の種類は非常に多いので,そのうちのいくつかは必ず起こる(どれが起こるかわらないが)ので,そのように感じるのでしょう.
地震の起こる確率は発生まで増加し続ける
地震調査委員会は,主要な活断層や海溝型地震(プレートの沈み込みに伴う地震)の活動間隔や次の地震の発生可能性を評価し公表しています.
南海トラフ地震について,マグニチュード8~9クラスの地震が30年以内に発生する確率が70~80%といわれます.これは南海トラフでは過去1,400年間に約90~150年の間隔で大地震が発生していることから,次の地震までの間隔を88.2年と予測したのが根拠です.1944年の昭和東南海地震や1946年の昭和南海地震が発生してから,2020年は約75年を経過しており,南海トラフにおける大地震発生の可能性が高まっていると言われます.太平洋やフィリピン海プレートが日本の下に沈み込むとき,引き込まれた日本列島が時々(周期的に)戻るのが海溝型の地震なので発生に周期ができます.
今年地震の起きる確率は1/88,この何十年も巨大地震が起きていないといっても,今年起きる確率はいつもと変わらず1/88と言っていいでしょうか.そうではありません.この場合の確率は一定ではないはずです.
地震は,地層にたまり続けたひずみが地層を破壊して放出される現象です.放出されるエネルギは,地層の強度や生じた断層の大きさなどから推定できます.結局,たまり続けた歪に耐え切れなくなって地層が割れるのですから,地震が発生する直前まで地層の歪は増加し続け,地震が起きる確率は,地震発生まで時々刻々増加して行くはずです.
その場所で地震の起きない年月が続いた後は,地震の発生確率は高まっているというのは本当でしょう.
No.527,528の「記数法と数体系」に続くのは,今回の「数が生み出される仕組み」[演算]です.
演算とは,4則演算,指数と対数,三角関数ほかの色々な関数,微積分などがあります.
素数を生み出す仕組みはまだ謎ですが,フィボナッチ数が生まれる仕組みは,
「前の2項の和が次の項を決める」という非常に簡単な再帰的規則で,
DNAにプログラムするのも容易です.これが自然界で色々な場面にフィボナッチ数が登場する所以でしょう.
今回の話は,歴史的には,ニュートン,ライプニッツの時代(1720年ごろ)までです.
・ゼロの役割
バビロニア,ギリシャ(ただし天文学者だけ!),マヤなどの古代人たちは,ゼロを数体系における位取りとして使用していた.現在の数体系が生まれたインドでも同様である.
628年にBrahmaguptaブラフマグプタが,ゼロを単なる位取りとしてではなく,数字として扱い,ゼロと負の数を使った算術規則の最初の書物を書いた.
820年にAl-Khwarizmiアル=フワーリズミーは,インドの数体系をイスラム世界に紹介した.
フィボナッチは1202年,『リベル・アバカ』(計算の書)の中でこれをヨーロッパに紹介し,ヨーロッパでのゼロの使用を広めた.
・無限
無限は水平線の彼方にある.勇敢な船乗りが,どんなに遠くまで旅をしたとしても,
少しでも無限に近づいたと言えるのだろうか?自然数が無限にあることは簡単にわかる.
どんな数でも最大であると宣言すれば,いつでも1つ増やすことができ終わりがない.
0と1の間に無限の数があることも真実だが,これは少し厄介だ.
ギリシャのストア学派Zenonゼノンは,一連のパラドックスを通してこの考え方を研究した.
彼の最も有名な説は,すべての運動は不可能であるというものだ.
A地点からB地点に行くには,無限の中間地点を通過しなければならず,それぞれの地点から次の地点に行くには正の時間がかかる.無限個の正の数を足すので無限の時間になり,有限時間ではどこにも移動できない.
この論理のどこが間違いか(無限個の正の数の和が有限である可能性がある!)わかっているが,この考えは多くの研究を引き起こした.微積分の中心的な考え方は無限に関わっている.どんどん小さくなっていく正の時間間隔(私たちは「限りなく小さい」と言う)の無限数列を使った平均変化率で,瞬間的な変化率(速度)を定義することができる.
エレアのゼノン c.490-c.430BCE,ゲオルグ・カントール 1845-1918
収束する無限級数の簡単な例は,1/2+1/4+1/8+1/16+...=1
無限級数の中には驚くべき結果をもたらすものがある.例えば,1-1/3+1/5-1/7+1/9-1/11+1/13-1/15...=π/4
ガリレオはある点集合を別の点集合に写像する公式を作り,デカルトは代数式で曲線を作る概念を導入した.
「関数」という用語は17世紀後半にライプニッツによって作られた.
関数のすべての入力集合は定義域(ドメイン)と呼ばれ,すべての出力集合は像(イメージ)または値域(レンジ)と呼ばれる.
曲線の勾配を計算する微積分の発明者は,ニュートン,ライプニッツとされている.
ニュートンは,「フェルマーの曲線と接線に関する先駆的な研究での近似概念の発展がなかったら微積分に到達できなかった」と公言している.
オスミツバチの先祖の木
オスのミツバチは未受精卵から生まれるので,オスのミツバチ( M)には母親はあるが,父親はいない.これに対して,メスのミツバチ( F)は,受精卵から生まれるので,両親がある.
図3.12は,7世代に遡るオスのミツバチの系図を示した.
[訳注:世代 nの数え方は,自分を1,親の世代を2のように,過去に遡る方向にn が増加する.図3.12には, 2世代(母親)~6世代が示されている.このようなネットワークは,グラフ理論の言葉で,木(ツリー)と呼ばれる.ネットワークにループ(閉路)がなく,あたかも,枝分かれ成長する木を思わせる.]
各レベルつまり各世代のミツバチの総数を数えよう.表3.3に示すように,これはフィボナッチ数になる.
$${a_{n} , b_{n} ,t_{n } }$$を,それぞれ,世代$${n , n \ge 1}$$のメスのミツバチの数,オスのミツバチの数,ミツバチの総数としよう.オスのミツバチから先祖に遡るので,明らかに,$${a_{1}=0}$$, $${b_{1}=1}$$から始まる.オスのミツバチは母親,メスのミツバチには母親と父親が確定するので,$${b_{n}=a_{n-1} , a_{n}=a_{n-1}+b_{n-1 } }$$, $${t_{n}=a_{n}+b_{n } }$$である.
$${a_{1}=0 , a_{2}=1 , a_{n}=a_{n-1}+a_{n-2 } }$$なので,$${a_{n}=F_{n-1 } }$$のフボナッチとなる.
これから,$${t_{n}=a_{n}+b_{n}=a_{n}+a_{n-1}=a_{n+1 } }$$が得られ,$${t_{1}=a_{2}=1, t_{2}=a_{3}=1}$$であるので; $${t_{n}=F_{n } }$$となる.
かくして,オスのミツバチの世代$${n}$$の先祖数は$${F_{n } }$$である.この魅力的な関係を最初に導いたのは,W. Hope-Jones, 1921年[322]であった.
本文:①より引用. 表紙図:②のp.25の図を編集.
SHAPE-[形]で解き明かす社会の難問
ジューダン・エレンバーグ著
宮崎興二編訳/パウロ・パトラシュク訳(丸善出版)
この本の紹介をします。数学書ではありませんが、数学の心意気が理解できる変わった面白い本です。いくつかをのトピックを選択して、コメントを述べようと思います。
■ 第一章は、リンカーンとユークリッド原論から始まります。
リンカーンと共に米国各州を巡回し生活した、弁護士ウイリアム・ハーンドンが1889年に出版したリンカーン伝からの回想が引用されています:
「田舎の狭いホテルに一緒に泊まったとき、二段ベッドの上から長い脚を垂らし、ローソクの光でユークリッドの原論を夢中になって読んでいるリンカーンの姿を見た。」
「リンカーンの事務所の机に、定規やコンパスや色々な図面や計算が書かれた紙が散らばっていた。」このときは、「円積問題を解こうとして二日間全力を尽くしていた。」とリンカーンが語った。
これらのエピソードから、リンカーンがユークリッド原論の愛読者だったと知って大変うれしい。
リンカーンが挑戦した円積問題[円を面積の等しい正方形にする]が、定規とコンパスだけでは作図不可能であることは、今日、誰でも知識として知っており、多分、わざわざ挑戦しようとは思わないだろう。しかし、リンカーンのように自分で図を描きやってみることが最も大切なことである。
1.円を正方形に
2.立方体のデロスの祭壇を2倍の体積の立方体に
3.任意角度を3等分する
これらは、定規とコンパスを使って作図できない問題だ。これは後の時代(リンカーンの頃は既知であったが)にわかったことだが、これらの作図の解は3次方程式の根であり、3次方程式の根は、定規とコンパスで作図できる数(+、ー、x、÷、√で表現される数)ではない(3乗根がでてくる)。
ユークリッドの幾何学から、リンカーンが身に着けた一番大切なものは、誰もが認める公理系の基礎の上に、誰も否定できない世界を演繹で組み立てるという考え方だった。
アメリカの独立宣言の中に言及されている『自明な真実』というのは公理に当たるし、ゲティスバーグ演説で、「人間はすべて平等に創られている、という『信条』に捧げられた新しい国家、それがアメリカである」という歴史的な名言中の『信条』は、”proposition”という単語【普通は『命題』と訳す】で、この言葉遣い自体が原論の公理の書き方を思わせる。
トーマス・ジェファーソンもリンカーンに先立、同様にユークリッドの原論に民主主義を支える原理を見つけ出そうとしている。ジェファーソンはウイリアム・アンド・メアリー大学時代にユークリッド幾何学も学習し、それ以降幾何学を大事にしている。リンカーンは独学であったが、両者とも、原論の論理の組み立て「みんなが認める公理から演繹で理論を組み立てていく」を実践しようとしている。
得られた結果た定理を暗記するのではなく、どのように論理が組み立てられたのかを実践し考え方を身に着けるような数学教育がなされるべきである。
リンカーンのように自力で考えることが大切だ。
日本国憲法は、互いに矛盾のないよく考えられた公理系の上に論理的に組み立てた体系であり、言葉は定義通りに忠実に解釈すべきで、解釈変更や拡大解釈などに詭弁の原因がある。『義務』とはすべて同等な義務であるべきなのに、恣意的に努力義務と解釈するなど、論理の焦点をわざと逸脱させたり本質を隠したりして制定時の精神を損なっている。憲法を読むにも解釈するにも、数学的な論理的態度が必要だ。これらについては、秋葉忠利「数学書として憲法を読む」、2019年数学月間講演(⇓)を参照ください。
https://sgk2005.org/bbses/bbs_articles/index/page:3?frame_id=346&page_id=97
色々な課題を解くと,フィボナッチやリュカの数列が現れることが多い.これらの数を生み出す仕組みは「再帰的」で非常に効率が良い.
ちなみに, フィボナッチ数列の再帰関係は:$${F_n=F_{n-1}+F_{n-2 } }$$
$${F_2=F_1=1}$$とすると,$${F_3=2}$$などと続き,フィボナッチ数列 1,1,2,3,5,8,13,21,34,...…が得られる.
つまり,DNAに記録された簡単な設計図の指示で成長する植物などに,これらの数列が現れるのはごく自然なことである.
フィボナッチ数列で数を生み出す仕組みは,数の本質に迫るものがあるようで,見かけは異なる課題が、フィボナッチ数列に帰着することが多い.
いくつかの代表的な課題を取り上げて,再帰関係の導出過程を「ひながた」として示しておきたいと思う.
こここで選んだ課題と解法は,①Fibonacci and Lucas Numbers with Applications, by Kosbyから引用した.
■フィボナッチについて
フィボナッチ数列1,1,2,3,5,8,13,21,34,55,89,144,233......は,各項は前の二つの項の和である.この数列は,数論において特別な役割を果たすが,多くの不思議な数値的性質を持っている.
例えば,$${1+1+2+3+5+8}$$はフィボナッチ数21より1小さい.
これらの数の2乗の和は,2つのフィボナッチ数の積になる: $${1 +1+4+ 9+ 25+ 64=8\times13}$$.
次の項との比$${1:1,2:1,3:2,5:3,8:5,...}$$は,黄金比$${Φ\approx1.618}$$に近づく.
幾何学的には,辺の長さがフィボナッチ数である正方形は,黄金の螺旋を形成するようにうまく組み合わされる.
人間がこのようなパターンに魅了されるずっと以前から,植物はフィボナッチ数の経済効率を発見していた.パイナップル,ヒマワリ,アーティチョークなど,螺旋構造を持つ多くの植物の葉や蕾には,連続したフィボナッチ数の組が見られる.パイナップルを調べると,一方向に8列,もう一方向に13列が螺旋状に並んでいるのがわかる.動物界では,ミツバチは各世代にフィボナッチ数の祖先を持つ.
ーーー以上 ②30-second Maths, Richard Brown, p.24より引用.
1202年,フィボナッチとしても知られるレオナルド・ピサーノは,著書『Liber Abaci』(計算の書)の中で,ウサギの繁殖に関する謎かけを行った.
おそらく非現実的であろうが,1ヶ月ごとに1組の成ウサギが1組の子ウサギを生み,子ウサギが成ウサギになるまで1ヶ月かかると仮定して,
1月に1組の子ウサギから始めると,12月までに144組の子ウサギが生まれる! もちろん,これはフィボナッチ数列である.-----
フィボナッチは,1202年にLiber Abaci (リベル・アバカ) 「計算の書」を出版し,アラビア数字と数学をユーロッパに導入した功績が大きい.イタリア人の商人である父と北アフリカに滞在したときに,アラビア人と共に学んだ.
■ フィボナッチ数列は簡単な再帰関係に基づき,数を生み出す仕組みだが,数学の色々な概念と結びつきがあり,いろいろな数学の分野に現れるので,良い数学分野の紹介に利用できる.