数学月間の会SGKのURLは,https://sgk2005.org/
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■数学月間企画講演会(第16回)のお知らせ
日時●2025 年 10 月 5 日(日),14:00-17:00
場所●東京大学数理科学研究科棟 002 号室
講演(高校生にもわかる)
●ミケルの定理を巡って,岡本和夫(東大名誉教授)
●ロピタルの定理を巡って,大山陽介(徳島大学)
主催●NPO 法人数学月間の会(理事長:岡本和夫)
参加費●無料.多くの方々のご参加をお待ちしています.
リモートも併用しますが,お近くの方は会場参加をお勧めします.
問い合わせ先● sgktani@gmail.com
●事前の参加登録が必要です.数学月間の会ウエブサイト https://sgk2005.org/ で登録できます(ログインの必要はありません).
■数学月間企画講演会(第17回)のお知らせ
日時●11月9日(日)14:00-17:00
場所●東大(駒場)数理科学研究科棟002教室
講演(高校生にもわかる)
●量子コンピューティング;松原望(東大名誉教授)
●フィボナッチ数・2次形式・トポグラフ;佐藤郁郎(宮城県立がんセンター研究所)
主催●NPO法人数学月間の会(理事長:岡本和夫)
参加費●無料.多くの方々のご参加をお待ちしています.
リモートも併用しますが,お近くの方は会場参加をお勧めします.
●問い合わせ先 sgktani@gmail.com
●事前の参加登録が必要です.数学月間の会ウエブサイトhttps://sgk2005.org/で登録できます(ログインの必要はありません).
何らかの原因で登録できないなどありましたらメールでご連絡ください.
■数学月間懇話会(第21回)2025.7.22に実施しました.
厳しい暑さの中,ご参加いただきありがとうございました.
講演ビデオは,YouTubeで限定公開になっていますので
数学月間の会ホームページ
https://sgk2005.org/youtube/page_20250818022852
にあるリンクからご覧になれます.
共立出版から 「フィボナッチ数・リュカ数大鑑(上・下)」が8月27日に発売になります.原著はThomas Koshy『Fibonacci and Lucas Numbers with Aplications』Wileyです.私も一部分の翻訳を分担しました.上下それぞれ700頁程度の大部の本で,上下揃いで目方が3.2kgもありとても重い.
フィボナッチ数・リュカ数大鑑(上) - 共立出版Thomas Koshy 著 www.kyoritsu-pub.co.jp
フィボナッチ数・リュカ数大鑑(下) - 共立出版Thomas Koshy 著 www.kyoritsu-pub.co.jp
私が分担部分の翻訳を担当したのは2019年秋でした.これだけ大部の書籍になると編集者の苦労も大変です.めでたく今回の出版に至りました.共立出版の編集者様にお祝い申し上げます.
内容については,ぜひ出版物をお読みください.
この分野の集大成と言える本なので,一般書と言うよりは研究書で個人で買うには高い本です.もし,図書館などでお読みいただければ幸いです.
今後機会があれば,本書の内容を参考に,著作権を侵害しないような一般向きの解説記事や発展記事を書きたいと思っています.
(2)ガロアの登場(19世紀前半)
3次方程式,4次方程式には代数的な解の公式があるが,一般の5次以上の方程式には,代数的な解の公式が作れない.代数的に解を書けるのは運のよい場合である.
誤解しないで欲しいが,解自体がないわけではない.一般に,$${n}$$次方程式には$${n}$$個の複素数の解が存在する(ガウスにより証明された).
方程式$${x^4-4=0}$$の場合,有理数体$${Q}$$上までなら$${(x^2-2)(x^2+2)=0}$$,拡大体$${Q(\sqrt{2})}$$の上までなら$${(x-\sqrt{2})(x+\sqrt{2})(x^2+2)=0}$$,拡大体$${Q(\sqrt{2},i)}$$の上まで許すなら$${(x-\sqrt{2})(x+\sqrt{2})(x-\sqrt{2}i)(x+\sqrt{2}i)=0}$$と因数分解できる.つまり,複素数体には解が存在するが,拡大した有理数体の大きさにより,記述できる解の個数が変わる.そして,有限回の代数的手法で拡大した有理数体の中に解がすべて存在するかを問うている.
方程式の係数の有理数体$${Q}$$からスタートして,ベキ根を加えて体の拡大を繰り返し,すべての解を含む拡大体$${K}$$に到着するなら,拡大体$${K}$$内で代数的な解の公式が存在する.
一般に,有理数体$${Q}$$上の$${n}$$次の多項式方程式(代数方程式)方程式には$${n}$$個の複素数の解が存在する(ガウス)のだが,有限個のベキ根を加えた$${Q}$$の拡大体に虚数$${i}$$を付加して拡大体$${K}$$を作っても,すべての解を含む複素数体をカバーしきれない.複素数体に解があると言っても,有限回の代数的操作でその解にたどり着けるとは限らない.
(注)$${Q}$$上の多項式の根になり得る数を代数的といい,$${Q}$$上のいかなる多項式の根にもなり得ない数は超越数という.
根を付加した拡大体において,根の置換群を考え,この置換群の正規部分群の列により拡大体が順次縮小でき単位群$${1}$$に至れば,解の公式が存在するというのがガロア理論の本質にある.正規部分群による縮小(正規部分群を核とする準同型写像)の各段階で定義される剰余群が巡回群であるなら,この正規部分群の列は可解となる.一般的な5次方程式では,解の置換群は位数120の5次の対称群であり,その正規部分群は位数60の交代群である.この交代群は単純群だが,その下に真の正規部分群を含まないので可解ではなく,一般的には代数的解法がない.
例)4次方程式の場合は代数的な解がある:
■結晶群での解釈
これは,結晶群における群の拡大の仕組みを思い起こさせる.
結晶は周期的な構造(デジタル化された構造)を持ち,並進群$${T}$$で記述される構造である.これに,回転対称操作や鏡映対称操作などの結晶点群$${G}$$の対称操作を付加することで,並進群を拡大して結晶空間群$$ {\it \Phi} $$を得ることができる.
逆の表現をすれば,並進群は,結晶空間群の中の正規部分群であるので,並進群を核とする準同型写像により結晶空間群$${\it \Phi}$$は必ず結晶点群$${G}$$に縮小帰着できる.
$${\it \Phi=T\otimes G}$$ $${\it \Phi /T \simeq G}$$
結晶点群$${G}$$の場合,2つの部分群$${G_{1}, G_{2 } }$$(どちらも正規部分群ではない)の半直積で構成される場合があり,準同型写像が成り立たず,その場合はそこから先は結晶点群を縮小することができない.$${G=G_{1}\oslash G_{2 } }$$
注)正規部分群と剰余類
部分群$${H}$$によるラグランジュ展開の任意の左剰余類の積$${g_{i}H\cdot g_{j}H}$$が,ばらけずに丸ごと別の左剰余類$${g_{s}H}$$に対応するならば,左剰余類は群を作る.この条件は$${g_{i}H\cdot g_{j}H=g_{i}g_{j}H}$$となることであり,$${Hg_{j}=g_{j}H}$$を意味する.
これは$${H}$$が$${\it \Phi}$$の正規部分群であることに他ならない.
(1)に戻る https://note.com/sgk2005/n/n68ac87eb04a6
有理数の集合(整数と分数)では,任意の2数に対して加法+,乗法×を行うことができ,加法に関し単位元0も逆元も存在するので加法群,乗法に関しても単位元1も逆元も存在するので乗法群になります.さらに分配法則が存在します.したがって,有理数の集合上では4則演算を自由に行うことができ演算結果は必ず有理数集合内にあります.このような代数系を「体」といいます.
「群」や「体」などの数学概念は,ガロアが5次以上の方程式には代数的な解法が存在しないものがあることを証明する過程で生み出されました.
有理数を係数とする(有理数体上の)2次,3次,4次の多項式方程式には解の公式[係数の四則演算とベキ根で表現される]が必ず存在するが,5次以上の方程式には代数的に解けないものがあることをガロアが証明しました.
ガロア(1811~1832年)は短い悲劇的な生涯でしたが,「群」,「体」などの新しい数学概念を生み出しましたが,このことが認識されるのは死後40年も経過してからでした.
「群」や「体」の概念を用いると,以下のような古典的な問題の証明を,新しい観点から理解することができます.
(1)ギリシャ時代の3大不可能作図
ギリシャの幾何学者たちが研究した3つの作図不可能問題:
①デロス島のアポロンの祭壇(立方体)を倍積に
一辺1の立方体に対してちょうど2倍の体積の立方体を作る.
1 → $${\sqrt[3]{2 } }$$ の長さの作図
②円を同じ面積の正方形に
円の半径1 → 正方形の一辺$${\sqrt{\pi } }$$ の長さの作図
③任意の角度を3等分する
任意に与えられた$${a}$$に対して,3次方程式$${x^3-3x-a=0}$$
の$${x}$$を作図する.
ギリシャでは幾何学が基本で,数は線分の長さで表現します.
数直線は実数(有理数と無理数)で構成されています.
もちろん①~③の解は存在しますが,コンパスと直線定規だけを繰り返し用いて作図せよという問題です.
コンパスと直線定規で作図出来るのは,長さの加減乗除(四則演算),開平$${\sqrt{ } }$$のみで,これらの操作の繰り返しで作図できるものだけが可能です.
作図法は下図参照.
乗除は方べきの定理
任意の整数の開平の作図
有理数体$${Q}$$の数字に加減乗除の操作を繰り返して得られる結果は同じ$${Q}$$の中にあります.作図条件に開平$${\sqrt{ } }$$の操作も許されますから,この結果は有理数の集合$${Q}$$からはみ出します.そこで,有理数体$${Q}$$を開平(平方根)$${\sqrt{ } }$$を加えて拡大した拡大体$${Q(\sqrt{})}$$を作れば,作図可能な数(長さ)はこの拡大体の中にあるはずです.つまり,立方根などはこの拡大体のなかにないので,立方根の作図は不可能とわかります.
①は立方根の作図だから不可能.
②は$${\pi}$$自体が超越数なので代数式の解ではなく作図できない.
③は$${a}$$の値により [与えられた角度により]解$${x}$$が四則演算と開平で表現できることもあり,その場合は作図できる.例えば,90°の角に相当する$${a=0}$$の場合は,$${x=0, \sqrt{3}, -\sqrt{3 } }$$であるので作図できる.一般の3次方程式の解は立方根を含み作図できない.
この続きは次号へ
体の拡大 (2)ガロアの時代
明日7月22日は 数学月間懇話会(第21回)です。この問題にも少し触れます。案内は,https://sgk2005.org/ をご覧ください。
$$ \mit\Phi =H \otimes G $$ $$ \mit\Phi /H \simeq G $$ $$ \mit\Phi \vartriangleright H $$
$$\mit\Phi =H \oslash G$$ $$\mit\Phi \supset H,G$$
$$ \mit\Phi =H \cup g_{1}H \cup g_{2}H \cup \cdots \cup g_{r}H $$
https://elementy.ru/trefil/24/Uravneniya_Maksvella
200 законов мироздания
「宇宙を構成する200の法則」より引用
ジェームズ・クラーク・マクスウェル(1831–1879)
スコットランドの物理学者.19世紀を代表する理論家の一人.エディンバラで由緒ある貴族の家に生まれた.エディンバラ大学とケンブリッジ大学で学んだ.14歳で最初の科学論文(理想的な楕円を描く方法)を発表.ケンブリッジ大学で実験物理学の教授を務めた後,48歳で癌のため若くして亡くなった.
C. マクスウェルの最初の主要な理論的著作は,色彩と色覚の理論に関する研究でした.彼は,赤,黄,青の3原色を混ぜることで,目に見えるすべての色が得られることを初めて示した.また,色覚異常(色域の知覚に異常が生じる視覚障害)の性質を,網膜の受容体の先天性または後天性の欠陥として説明した.
3原色の赤,緑,青のフィルターを使って3回撮影した写真を,それぞれフィルターを通してプロジェクターで投影しカラー写真を生成した.1861年のロンドン王立協会の会合でその動作を実演した.
彼は土星の環の構造を綿密に計算し,それまで考えられていたように環が液体ではなく固体の粒子で構成されていることを証明した.
マクスウェルは自然科学の多くの分野に重要な貢献をした.
彼の最も重要な業績は,電磁気学の理論の発展と,それを確固たる数学的基盤の上に位置づけたことだ.
マクスウェルは1850年代半ばにこの問題の研究を始めた.皮肉なことに,マクスウェルは光を放つエーテルの存在を固く信じており,エーテルが存在し,その中で電磁波が励起され,その結果,電磁波の伝播速度が有限であるという事実に基づいて,すべての方程式を導き出した.
マクスウェルは,エーテル存在説の反証となったマイケルソン・モーリーの実験の結果を見ることなく亡くなった.(彼もまた,自分の理論が無条件に認められるまで生きられなかった.光の波動性とマクスウェル方程式の正しさは,1888年にようやくヘルツの実験によって確認された.
この実験によってエーテルの存在は否定されたが,マクスウェルの理論が否定されることはなかった.なぜなら,マクスウェル方程式はエーテルの有無にかかわらず満たされるからである.
マクスウェルは最終的に,気体分子の速度分布を発見し,それが分子運動論の基礎となることで統計力学の発展に貢献した.しかし,マクスウェル自身もこの理論の不完全性に気づき,後に「マクスウェルの悪魔」として知られることになるパラドックスを提唱した.
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マックスウェル方程式までの道のり
19世紀半ばまでに,科学者たちは電気と磁気の現象,そしてそれらの関係を記述する多くの法則を発見した.
①クーロンの法則は電荷間の相互作用力を記述する.
②ガウスの定理は,自然界に孤立した磁荷(磁気単極子)が存在する可能性を排除する.
③ビオ・サバールの法則は,移動する電荷によって生成される磁場を記述する.(アンペールの法則とエルステッドの発見も参照 )
④ファラデーの電磁誘導の法則は,磁束の変化によって電界が生成され,導体に電流が誘導される. (レンツの法則も参照 )
これらの法則群は,C. マクスウェルによって一般化され1 つの首尾一貫したシステムに統合された.このシステムは 4 つの方程式で構成される:
(1)マクスウェルはすべての既知の電磁気学の法則を厳密に数学的に記述した (たとえばファラデーは,発見したすべての法則を言葉でのみ定式化した).
(2)マクスウェルは,彼が定式化したシステムに,元の法則にはなかった多くの根本的に新しいアイデアを導入した:変位電流など
(3)彼はすべての電磁気現象に厳密な理論的根拠を与えた.
(4)マクスウェルは,自身がまとめた方程式のシステムに基づいて,電磁放射のスペクトルの存在の予測を含むいくつかの重要な予測と発見を行った:真空中の電磁場の存在
ビオ・サバールの法則によれば,導体を流れる電流は、その周囲に磁場を励起する.直流電流が流れる場合はこのままで良いが,コンデンサのギャップを介して流れる交流電流に対してもこの法則を拡張した.
マクスウェルは,アンペールの法則ではこの状況における電流の流れが説明できないこと,電荷はコンデンサの電極間を移動できないが,電場(電極間に仮想的な電荷を置いた場合に生じる力)が増加することに気づいた.変化する電場が電流と同様に磁場を生成すると仮定し,マクスウェルは,変位電流という根本的に新しい概念を導入し,これを一般化されたアンペールの法則に独立した項として追加した.それ以来,変位電流の存在は実験によって繰り返し確認された.
マクスウェルは自身がまとめた4つの方程式系に基づいて,純粋に数学的に当時としては画期的だった予測を導き出した.それは,自然界には電磁波が存在し,電場と磁場の振動相互作用の結果として形成され,その伝播速度は電荷間または磁石間の力に比例するはずだというもの.自身がまとめた微分波動方程式を解いたマクスウェルは,電磁振動の伝播速度が当時すでに実験的に決定されていた光速と一致することを発見した.これは,光のように身近な現象が電磁波だったことを意味します.さらにマクスウェルは,電波からガンマ線に至るまで,既知のスペクトル全体に電磁波が存在することを予言した.このように,電気と磁気の性質に関する徹底的な理論的研究が,電子レンジから歯科医院のX線装置に至るまで,人類に数え切れないほどの恩恵をもたらす発見につながった.
訳者解説
ニュートン力学と電磁力学の大きな違いは,
ニュートン力学では物体間の相互作用は瞬時に伝わり,場の概念を必要としないが,電磁力学では荷電物体の相互作用は場を介して行われると考えるところにある.相互作用の伝播速度は光速であるが,荷電粒子は大きな速度で移動できるので伝播速度を瞬時とみなすことはできない.
マックスウェルの方程式は,電荷のない真空中にも解があり電磁場が存在することを示した.真空中には何も起こらないとする長年の考え方は否定された.電磁場の存在にエーテルは必要なかった.
ファラディーの電磁誘導の法則
$${\int {E}d {l}=-\frac{1}{c}\frac{\partial}{\partial t}\int {H}d {f } }$$から(1)式が得られる.
単極磁苛がなく閉曲面を通過する磁束は0であるので,ガウスの定理を使い
$${\int {H}d{f}=\int \textrm{div}{H}dV=0}$$(2)式を得る.
ビオ・サバールの法則をストークスの定理を用い変形し(3)式を得る.
(4)式は電荷の保存則である.
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
Stokesの定理 $$ \int A dl=\int \textrm{rot} Adf $$
Gaussの定理 $$ \int Adf=\int \textrm{div} AdV $$
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
得られた真空中のマクスウェルの方程式群は以下のようである:
(1) $${\textrm{rot}{E}=-\frac{1}{c}\frac{\partial {H } }{\partial t } }$$
(2) $${\textrm{div}{H}=0}$$
(3) $${\textrm{rot}{H}=\frac{1}{c}\frac{\partial {E } }{\partial t}+\frac{4\pi {j } }{c } }$$
(4) $${\text{div}{E}=4\pi \rho}$$
ここで,$${ { E},{H } }$$はそれぞれ真空中の電場,磁場であり,$${\rho}$$は電荷密度,$${ { j } }$$は変位電流である.
例えば,変位電流$${ { j } }$$も電荷$${\rho}$$も0として,1式と3式から$${ { H } }$$を消去して,ベクトル解析の公式$${\textrm{rot rot} {E}=\text{grad div} {E}-\Delta {E } }$$を用いれば,
波動方程式$${\Delta {E}=\frac{1}{c^2}\frac{\partial ^{2}{E } }{\partial t^2 } }$$
を得る.1次元の波動方程式$${\frac{d^2 {E } }{dx^2}=\frac{1}{c^2}\frac{d^2{E } }{dt^2} }$$ の解は$${ { E}(x-ct)}$$の形の平面進行波であることが分かる.
ここではベクトル解析の記号$${\textrm{rot}{E } }$$などを用いたが,マックスウェルの方程式(1864)はベクトル解析の整備に先んじている.
参照:
1785 クーロンの法則
1820 ビオ・サバールの法則
1831 ファラデーの電磁誘導の法則
1864 マクスウェル方程式
1931 磁気単極子
$${3\times 4}$$で,3を乗数,4を被乗数と言うのは欧米式.3を被乗数,4を乗数と言うのは日本式の教育です.
$${3\times 4=3+3+3+3}$$と解釈すれば,乗数は4; $${3\times 4=4+4+4}$$と解釈すれば,乗数は3.どちらの考え方も正しいのです.
それぞれ,「リンゴを3個持った生徒が4人いる」,あるいは,「4人の生徒にリンゴを1つづつ配ることを3回やる」と考えることに相当し,どちらも同じことです.考え方(解釈)は自由です.
このように,乗数,被乗数の定義は,文脈の中で存在するだけで,出来上がった式$${3 \times 4}$$の中に現れる順で決まるものではありません.
さらに言うと,乗算は可換なので,$${3 \times 4=4 \times 3}$$.式の中に現れる順で乗数,被乗数の定義をするのは無意味です.
ーーーーーーーー
追記:Facebookの友達から以下のコメントが入りました.イギリスの文化が(乗数)×(被乗数)であることの実例で面白いので引用します:
レッスンでインターバルトレーニングをするのですがコーチから距離x回数及びサイクルタイムの指示が来ます。イギリス人の小学校の男性教師が、レッスンに1年程来ていた時があり、私がその場で訳すのですが、距離x回数をいうと全く理解できない(もちろんDistanceとかTimesとか付け足してる)、回数x距離だと理解する.---
数学月間は2005年に始まり今年で20年になります.
ジョゼフ゠ルイ・ラグランジュ(1736年 - 1813年);数学者,物理学者,天文学者は,オイラーの弟子で,フランス革命の前後の時代を生きた.
彼は,微分積分学を物理学へ適用し,最小作用の原理,解析力学を創出した.
ラグランジュによる『解析力学』は,ラプラスの『天体力学』と共に18世紀末の古典的名著とされる.
最小作用の原理の起源といえば,1696年のスイスの数学者ヨハン・ベルヌーイの「最速降下曲線」問題に言及せねばなりませんが,そのトピックは以下でご覧ください:
https://note.com/sgk2005/n/n7b4803b9a981
■ 変分原理
始点$${(t_0, q_0)}$$と終点$${(t_1, q_1)}$$に対し,この2点を結ぶ2つの道筋が図示されている.2つの道筋は始点と終点では一致している.同一時間における道筋の差$${\delta q}$$を変分という.
ラグランジュ関数$${L(q, \dot{q}, t)}$$ として,$${S=\int_{t_0}^{t_1}L(q,\dot{q},t)dt}$$ をラグランジュ関数$${L}$$の作用という.$${L}$$の変分は
$${\delta L=\frac{\partial L}{\partial q}\delta q+\frac{\partial L}{\partial \dot{q } }\delta \dot{q}=\frac{d}{dt}(\frac{\partial L}{\partial\dot{q } }\delta q)+\delta q(\frac{\partial L}{\partial q}-\frac{d}{dt}\frac{\partial L}{\partial\dot{q } })}$$
$${\delta S=\int_{t_0}^{t_1}\delta q(\frac{\partial L}{\partial q}-\frac{d}{dt}\frac{\partial L}{\partial\dot{q } })dt}$$
現実に起こる運動はラグランジュの方程式を満たすので,変分は0で作用は停留値をとる.
$${\displaystyle \frac{d}{dt}\displaystyle \frac{ \partial L}{ \partial \dot{q}_{\alpha } }-\displaystyle \frac{ \partial L}{ \partial q_{\alpha } }=0}$$
Lagrangeラグランジュの方程式
$${L(\dot{q}_{\alpha } , q_{\alpha }, t)=T-U}$$
Lagrange関数(系の運動エネルギーと位置エネルギーの差)$${\dot{q}, q}$$は一般座標での速度と位置
ラグランジュの方程式から,ニュートンの方程式を導くことができるが,複雑な系でもラグランジュ関数を書き下すことは容易なので,広範に応用できる.
Lagrange関数から色々な力学量を導くこともできる.
例えば,系の全エネルギーは$${E=\dot{q}_{\alpha}\frac{\partial L}{\partial \dot{q}_{\alpha } }-L=T+U}$$
中心力場で角運動量を求めたり,軌道を決定したりできる.
ニュートンの運動方程式がケプラーの法則と一致することも示せる.
量子力学への移行では,エネルギー(ハミルトン演算子)$${E=\frac{p^2}{2m}+U}$$で,運動量演算子の置き換え$${p→ \frac{h}{2\pi i}▽}$$ をして,ハミルトン演算子$${H}$$を作ったことを記憶しているだろう.
$${H=-\frac{(h/2\pi)^2}{2m}+U}$$
■最小作用(停留値)の原理
ある力学系でLagrange 関数$${L(q, \dot{q}, t)}$$が与えられたとする.
$${S=\int_{t_0}^{t_1} L(q, \dot{q}, t)dt}$$をその系の作用という.
モーペルテュイは,「始状態から終状態への運動経路には,作用と呼ばれる 量が定義でき,作用が最小となる経路が実現される.これが物理学のみならず,万物の運命を決める外界の原理である」という着想ーーー”最小作用の原理”(1744)を得た.モーペルテュイは,1744年に光学現象(光の直進・反射・屈折)に即してこの原理を述べた.
たしかに,現実の運動では,しばしば作用が極小になるものが見られるが,正確には,「作用が停留値をとる経路が実現する」というのが正しいことが後にわかる.適当な作用を見つければ万物の運命が分るというのは神秘的だが魅力的な着想ではある.
オイラーは,モーペルテュイの作用量の定義を積分に拡張し,最小作用の原理をさまざまな力学課題に適用できるようにし,最大または最小の性質をも つ経路曲線を見出す方法を発表した(1744). これを読んだ若き日のラグランジュは変分法を発明し,オイラーに手紙(1755)を送った.オイラーは,ラグランジュの方法を採用し,『変分法の原理』 (1766)を出版する.
変分法により導かれる運動方程式が,オイラー=ラグランジュ方程式といわれる所以だ.
その後,ラグランジュは,『解析力学』(1788)を出版する.その序文に「 本書には図はーつも出てこな い.・・・・所定の手続きに従い進める代数計算だけだ.・・・・」と高らかに宜言する.こうして,複雑な力学問題も解ける一般化された手法が確立された.
力学系を記述するラグランジュ関数を求め,ラグランジュ関数の作用積分が停留値をとる条件を変分法で解くと,オイラー=ラグランジュ方程式が得られる.
系のラグランジュ関数は,$${L(q, \dot{q}, t)=T-U}$$,ここで,
$${T, U}$$はそれぞれ,運動エネルギー,位置エネルギーである.
普通,位置エネルギーは座標$${q}$$だけの関数だが,複雑な系では,位置エネルギーも速度$${\dot{q } }$$に依存することもある.
ラグランジュ関数は,電磁場に置かれた荷電粒子にも定義され,光(電磁力学)も力学も統一して扱える原理ができた.
変分原理から,ニュートンの運動方程式は導出できる.その上,変分原理は,ニュートン力学より一般化された外界の原理である.20世紀に入り,量子力学が誕生した時もこの原理が手掛かりになった.光や物体の運動が,作用積分を停留化する経路を選択するというのは不思議といえば不思議,当然といえば当然だ.
科学と数学の関係を語るとき,「科学の発展に必要だった数学がいつも先回りして用意されていた」とよく言われます.ドラマティックにそのような脚色をした本も多いようです.
ある数学の出現が,天才による閃光のようだとする見方もあれば,その数学の出現は必然(時期が熟したためであり,その時期にその分野に係わっていたのが幸運だった)とする見方もあります.後者の見方は,同じ時期に同じ結果を複数の人が発見する事例が良くあることの説明にもなります.どちらの見方も最もな言い分です.
数学は,現場(科学)から生まれたとするか,それとも,科学に先んじて数学が独自に生まれたとするか,これらも両極端な見方です.
数学の源泉が現場にあったことも事実ですし,数学から数学が生まれたのも事実です.
19世紀末(1890~1894年)に,フェドロフ,シェンフリ-ズ,バーローがそれぞれ独立に結晶空間群230種類を数え上げていました.これらの3人のうちシェンフリーズはドイツの数学者ですが,フェドロフはロシアの鉱物学者,バーローはイギリスの実業家です.
レントゲンによるX線の発見(1895年)は20世紀の幕開け前夜です.すぐ20世紀に入り,結晶を回折格子としたラウエの実験(1912年),X線結晶構造解析のブラック親子(1915年)と科学の発見が続きます.
ブラック親子のX線結晶構造解析に必要な,空間群の230種類の数え上げは,「さあ,お使い」とばかりに準備されていました.ドラマティックですね.数学が科学的発見より先んじていた例に良くあげられます.
しかしながら,数学を突然出現させるのは,演出が過ぎるというものです.17世紀中葉からの結晶に関する多くの観察実験により,「結晶は単位胞が積み重なったデジタル(離散的な周期的構造)世界でなければならない」と推論されていました.それは,ステノ(1669年),リスル(1772年)の「面角一定の法則」,アウイ(1783年)の「有指数の法則」,ミラー指数(1839年)などの積み重ねの結果です.実際これらに貢献したのは数学者ではなく現場の科学者で,結晶学と整数論がともに進んできた道です.
ブラベーの格子の対称タイプの数え上げ(1848年),ヘッセルの結晶点群の数え上げ(1830年)などを経て,空間群の数え上げに至ります.
しかし,これらをもって数学と言うならば,数学は科学の現場で育まれたのです.
さらに洗練された数学的概念の関与で,数学の登場となります.空間群の直積や半直積への分解や正規部分群の拡大などの群の成り立ちの研究になってからではないでしょうか.
数学月間の狙いは,「数学が基礎科学も含めて社会を支えていることを,数学嫌いの市民に気づいてもらい,数学アレルギーを無くそう」とういうものです.その数学の源泉は何かの現場(科学や社会)に無縁ではないはずです.そして,数学の本質は論理なので,数学を抽象化し洗練すれば,数学から数学が生まれる宿命にあるのも確かです.やがて,その数学の源泉は見えなくなるのですが,そのように抽象化純粋化された数学も源泉につながっていたことを忘れたくはありません.
「・・・・・多くの数学者は物理学その他の分野との関係を見失い,一方,物理学者は数学者の関心と問題意識,その方法と語法が理解できなくなっている.これでは,科学の発展の流れは次第に細かく枝分かれし推量を失い,ついには干上がってしまうであろう.・・・・・」R.クーラントの『数理物理学の方法』(1924)の序文からの引用.
これが書かれたのは今から100年前ですが,このような状況は現在も同じです.
数学の源泉が良くわかる数学と科学現場が一体であった以下の時代を,これから考察しましょう:
●14世紀末~16世紀初頭
ルネッサンス人というのは多分野に天才であった人たち(数学者で科学者で芸術家でというような)が活躍し,数学研究が孤立していなかった面白い時代です.タルタリア,カルダーノ,デカルト,フェルマーなどの時代です.
●17世紀~19世紀
次に,ニュートン,ライプニッツ,ガウス,フーリエ,ダランベール,オイラー,ラグランジュ,ベルヌーイ,パスカル,マックスウェルなどの時代があります.この時代も科学と数学は一体で発展し面白い時代でした.
1687年に粒子に対するニュートン力学,1873年にマックスウエルが波動である電磁気学を確立し,古典物理学のパラダイムが完成しました.20世紀になるとこれらのパラダイムはミクロの世界で破綻し量子力学の誕生になります.
次回から,古典物理学の完成時に戻り,数学と物理学に大きな影響を与えた,以下の2つの話題を取り上げます:
■ラグランジュ 解析力学
■マックスウェル 電磁力学