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No.533 フィボナッチ数列(1) 

色々な課題を解くと,フィボナッチやリュカの数列が現れることが多い.これらの数を生み出す仕組みは「再帰的」で非常に効率が良い.
ちなみに, フィボナッチ数列の再帰関係は:$${F_n=F_{n-1}+F_{n-2 } }$$
$${F_2=F_1=1}$$とすると,$${F_3=2}$$などと続き,フィボナッチ数列 1,1,2,3,5,8,13,21,34,...…が得られる.
つまり,DNAに記録された簡単な設計図の指示で成長する植物などに,これらの数列が現れるのはごく自然なことである.

フィボナッチ数列で数を生み出す仕組みは,数の本質に迫るものがあるようで,見かけは異なる課題が、フィボナッチ数列に帰着することが多い.
いくつかの代表的な課題を取り上げて,再帰関係の導出過程を「ひながた」として示しておきたいと思う.
こここで選んだ課題と解法は,①Fibonacci and Lucas Numbers with Applications, by Kosbyから引用した.

■フィボナッチについて
フィボナッチ数列1,1,2,3,5,8,13,21,34,55,89,144,233......は,各項は前の二つの項の和である.この数列は,数論において特別な役割を果たすが,多くの不思議な数値的性質を持っている.
例えば,$${1+1+2+3+5+8}$$はフィボナッチ数21より1小さい.
これらの数の2乗の和は,2つのフィボナッチ数の積になる: $${1 +1+4+ 9+ 25+ 64=8\times13}$$.
次の項との比$${1:1,2:1,3:2,5:3,8:5,...}$$は,黄金比$${Φ\approx1.618}$$に近づく.
幾何学的には,辺の長さがフィボナッチ数である正方形は,黄金の螺旋を形成するようにうまく組み合わされる.
人間がこのようなパターンに魅了されるずっと以前から,植物はフィボナッチ数の経済効率を発見していた.パイナップル,ヒマワリ,アーティチョークなど,螺旋構造を持つ多くの植物の葉や蕾には,連続したフィボナッチ数の組が見られる.パイナップルを調べると,一方向に8列,もう一方向に13列が螺旋状に並んでいるのがわかる.動物界では,ミツバチは各世代にフィボナッチ数の祖先を持つ.
ーーー以上 ②30-second Maths, Richard Brown, p.24より引用.

1202年,フィボナッチとしても知られるレオナルド・ピサーノは,著書『Liber Abaci』(計算の書)の中で,ウサギの繁殖に関する謎かけを行った.
おそらく非現実的であろうが,1ヶ月ごとに1組の成ウサギが1組の子ウサギを生み,子ウサギが成ウサギになるまで1ヶ月かかると仮定して,
1月に1組の子ウサギから始めると,12月までに144組の子ウサギが生まれる!   もちろん,これはフィボナッチ数列である.-----

フィボナッチは,1202年にLiber Abaci (リベル・アバカ) 「計算の書」を出版し,アラビア数字と数学をユーロッパに導入した功績が大きい.イタリア人の商人である父と北アフリカに滞在したときに,アラビア人と共に学んだ.


■ フィボナッチ数列は簡単な再帰関係に基づき,数を生み出す仕組みだが,数学の色々な概念と結びつきがあり,いろいろな数学の分野に現れるので,良い数学分野の紹介に利用できる.

 

No.532 石庭(枯山水)の作り方

石庭の作り方
石庭を作る人は多分いないと思いますが,工事中の石庭を見て今回は石庭の話題です.地面に石を置けばできると思っていましたが,そんなに簡単ではなく工法はとても手が込んでいます.
地面を1mも堀下げ基礎をしっかり固めます.その後で,地表まで戻して,写真のような岩の配置を作ります.岩の下にあるのは花崗岩のピンコロでカマセ石と呼ばれます.
この先は,砂利を敷き砂紋を描くことになるのでしょう.
この景色が意味しているものは何でしょうか.まだ置く岩が多数あり未完成です.



龍安寺の石庭
有名な石庭に,臨済宗. 妙心寺派,龍安寺があります.私は高校2年生の修学旅行の自由時間に,ここを見に行く計画を作り実行しました.そのころ私は岩波新書の『日本列島』などを読み岩石に興味を持っていたからです.
ちょっと遠くて時間がかかったような記憶があります.私の案に賛成して同行グループになってくれた友人が何人かいました.

龍安寺の石庭の全部で15個ある石は,どの場所に立ってどの角度から見てもすべての石が見えないように造られているそうです.世界は「不完全」だと言いたげで,ゲーデルの「不完全性定理」を思わせます.
その後知ったことですが,龍安寺の石庭の15の石は,虎の子渡し[母虎1匹と子虎3匹(1匹の豹の子を含む)が川を渡る方法]の謎の答えが隠されているという説もあります.

No.531 確率の感じ方

 

大数の法則
コインを10回投げて,連続して表が10回出たとすると,次は裏が出る可能性が高いと思いたくなります.「表や裏のそれぞれが出る確率は同じなのだから,そろそろ裏が追いつき始めるに違いない.」
しかし,これはナンセンスです.偏りのない正しいコインなら,前回の結果がどうであれ,次回の表か裏が出る確率は,表50%,裏50%と決まっています.何回やっても確率は変わりはしない.ルーレットや宝くじでも同様で,100回まわしてゼロが出なかったからといって,次にゼロが出る確率が上がるわけではありません.
コイン,ルーレット,宝くじの玉は無生物であり,以前の結果を記憶し,その頻度を調整する能力はないはずです.

人間の時間感覚の問題で,このような錯覚に陥り易い.イタリアの宝くじで,ある数字が,ずうっと出ていないので,今度は絶対でると思い込み,破産者や自殺者を出した事例があるそうです.
十分大きな試行回数を重ねれば,それぞれの固有の確率に収束していく.これが、「大数の法則」ですが,この「十分に大きい」というのが曲者で人間の時間間隔とは合いません(試行回数の平方根に比例する速度で平均値に近づくのですが).

「まれな出来事は良く起こる」という逆説的なことも良く経験します.「まれな出来事」の起こる確率は小さいはずですが,「まれな出来事」の種類は非常に多いので,そのうちのいくつかは必ず起こる(どれが起こるかわらないが)ので,そのように感じるのでしょう.

地震と確率
地震調査委員会は,主要な活断層や海溝型地震(プレートの沈み込みに伴う地震)の活動間隔や次の地震の発生可能性を評価し公表しています.
南海トラフ地震について,マグニチュード8~9クラスの地震が30年以内に発生する確率が70~80%といわれます.これは南海トラフでは過去1,400年間に約90~150年の間隔で大地震が発生していることから,次の地震までの間隔を88.2年と予測したのが根拠です.1944年の昭和東南海地震や1946年の昭和南海地震が発生してから,2020年は約75年を経過しており,南海トラフにおける大地震発生の可能性が高まっていると言われます.太平洋やフィリピン海プレートが日本の下に沈み込むとき,引き込まれた日本列島が時々(周期的に)戻るのが海溝型の地震なので発生に周期ができます.
今年地震の起きる確率は1/88,この何十年も巨大地震が起きていないといっても,今年起きる確率はいつもと変わらず1/88と言っていいでしょうか.そうではありません.この場合の確率は一定ではないはずです.
地震は,地層にたまり続けたひずみが地層を破壊して放出される現象です.放出されるエネルギは,地層の強度や生じた断層の大きさなどから推定できます.結局,たまり続けた歪に耐え切れなくなって地層が割れるのですから,地震が発生する直前まで地層の歪は増加し続け,地震が起きる確率は,地震発生まで時々刻々増加して行くはずです.その場所で地震の起きない年月が続いた後は,地震の発生確率は高まっているというのは本当でしょう.

 

No.530 ヒルベルト.ゲーデル.チューリング

ヒルベルトの計画(綱領)
ヒルベルトは,1921年に「ヒルベルトの計画(綱領)」を発表します.すべての数学を公理形式で記述したいのですが,その基礎になる公理の独立性,一貫性が保証されなければなりません.ヒルベルトは,1900年に行われた講演「23の数学的問題」の2番目でもこの問題を取り上げています.


20世紀初頭は,数学者はますます複雑な問題への挑戦を進めるが,その一方で,数学への基本的な疑問も起こりました.数学とは何か?その基本法則は何か?
ダーフィト・ヒルベルトには,数学の本質に取り組むための大胆なアイデアがありました.彼は数学を骨抜きにし,単なるゲームとして扱おうと考えました.チェスがポーンやキャッスルといった駒を使ってプレイされるように,数学ゲームも基本的な構成要素は記号: 0,1,+,×,=,などで,これらを組み合わせてすべての数学が出来ています.
数学を記号のゲームに落とし込み,記号の「意味」を忘れることで,数学とは何か,その基本的なルールが現れて来ると考えました.
数学の原理「ルールの基本セット」が見つかれば,これを根拠にすべての数学的記述の証明ができるし,数に関するどのような数学的記述も真か偽かをこれで決定できます.ヒルベルトは,算術の構造の根底にある論理を利用して,究極の数学理論を見つけたいと考えました.

残念ながら,ヒルベルトの計画(綱領)が実現することはなかった.
クルト・ゲーデルもヒルベルトの計画に触発された一人で,不完全性定理の研究を行い,数学が成り立つ完全なルール・セットは誰も作れないことを証明しました.

ゲーデルの証明によれば,公理系に矛盾がなく完全であることの証明は,公理系の枠組みでできない.完全性(あるいは不完全性)を証明したり反証したりするには,公理の追加(システムの強化)が必要である.
その後,アラン・チューリングのアルゴリズムに関する研究は,任意の数学的記述の真偽を評価できる手続き(アルゴリズム)は存在し得ないことを示しました.

しかし,数値システムをゲームとして扱うという彼の「形式主義的」アプローチは,数理論理学への新たな関心を呼び起こしました.
すべての数学的問題を解決することはできないが,問題のいくつかの特殊なサブクラスは,この方法で解決することができます.今日の数学者たちは,ヒルベルトの計画から肯定的な結果を救出し続けています.

ゲーデル
算術は,0,1,2,3...という整数の体系と,それらを組み合わせる方法:加算,減算,乗算,除算で成り立ちます.19世紀後半になると,数学の基本法則を見つけることに焦点が当てられ,数学者たちが求めていたのは,算術の基本法則(ルール)のリストです.すべての数学定理は,そのルールセットから論理的に演繹できるはずです.バートランド・ラッセルとアルフレッド・ノース・ホワイトヘッドによる3巻の著作『プリンキピア・マテマティカ』(1996年)を筆頭に,いくつかのルールブック候補が登場しました.
これは,基本的仮定のリストから数学の全体を構築しようとするものであったのです.しかし,1931年,クルト・ゲーデルは,そのような完全なルールブックを作ることは不可能であるという定理を証明してしまいました.
整数に関する記述の中には,真であるにもかかわらず推論できないものが必ずある.
もちろん,ルールブックを拡張してこの記述を新しい法則として組み込むことはできるが,それでも理論には他のギャップが残ることになる.ゲーデルの定理は,それらをすべて埋めることは決して望めないことを保証しています.

その後,算術の論理体系の階層が構築され,それぞれの体系が下の体系(サブクラス)のギャップの多くを埋めていることが知られます.
「証明理論」のテーマは,これらの異なる体系の論理的な強さを比較しています.
一方,「逆数学」では,古典的な数学の結果が成立する基盤条件の理解を狙い, 与えられた定理の証明にどのような公理があるのかを正確に調べています.

No. 529 ピエール・ド・フェルマーの書き込み

この写真は,以下のサイトからお借りしました:

https://www.joh.cam.ac.uk/library/special_collections/early_books/fermat.htm

Diophantus, Arithmetica (Toulouse: Bernard Bosc, 1670). | St John's College, University of Cambridge When reviewing his copy of Diophantus in 1637, Pierre de Ferm www.joh.cam.ac.uk
フェルマーの最終定理
写真は,デイオファントスの算術書の余白にあるフェルマーの書き込みです.
ピエール・ド・フェルマーは,自分の所有するディオファントスの算術書の余白に有名な「最終定理」を書き,余白に収まらないほど長い証明を発見したという趣旨のメモも添えました.1637 年ーーーーーーー
整数$${n}$$が 2 より大きい場合,$${a^n + b^n = c^n}$$ は,非ゼロの整数$${a, b, c}$$に対して解を持ちません.私はこの命題の実に素晴らしい証明を持っていますが,この余白はそれを含めるには狭すぎます.ーーーーー

フェルマーは1665年1月12日にカストル(南フランス,バルセロナに近い)で死にます.彼の死後の1670年に,息子のサミュエルが,ディオファントスの算術書を出版したときに,父親の余白のメモや注釈すべて本文に取り入れた版にしました.これが表紙写真の貴重な書です.(フェルマーが書き込んだ原本は現在失われています)
フェルマーがどのように考えどのように証明したかは謎です.
これは見かけによらず難問で,その証明には300年以上の長い年月を要し,1994 年に至りアンドリュー・ワイルズがこれを証明しました.

デイオファントス
算術書を書いたデイオファントスとは何者でしょうか. wikiによると:

https://en.wikipedia.org/wiki/Diophantus

ディオファントスはギリシャ人で,ローマ時代の西暦200年(あるいは214年)から284年(あるいは298年)に,エジプトのアレクサンドリアに住んでいました.ディオファントスの生涯に関する私たちの知識の多くは,メトロドロスが作成した5世紀のギリシャの数遊びとパズルのアンソロジーから得られています.問題の1つ(彼の墓碑銘)には次のように書かれています。ーーーーー

ここに、驚異のディオファントスが眠る。代数術によって、石碑は年齢を告げている。「神は彼に、人生の 6 分の 1 の少年時代を与え、さらに 12 分の 1 はひげが生える青春時代、そして結婚が始まる前の 7 分の 1 を与え、5 年後に元気な息子が生まれた。悲しいかな、師匠であり賢者の愛する息子は、父の人生の半分を達成した後、冷たい運命に捕らわれた。4 年間、数の科学によって運命を慰めた後、彼は自らの命を絶った。」ーーーーー

このパズルから、ディオファントスの年齢$${x}$$が次のように推定できる.$${x = ⁠x/6⁠ + ⁠x/12⁠ + ⁠x/7⁠ + 5 + ⁠x/2⁠ + 4}$$ を解いて,$${x=84}$$

ディオファントスの活躍した時代は西暦200年頃ですが,その算術書は,9世紀にアラビア語に翻訳され,ヨーロッパの中世暗黒時代を経て,ギリシャ語からラテン語に翻訳されました.1621年のラテン語翻訳のデイオファントスの算術書が,広く入手可能な最初のものでした.ピエール・ド・フェルマーはそれを所有し,研究して余白に書き込みをしたのです.

フェルマー
彼の名を冠した定理が何世紀にもわたって謎に包まれていたので,フェルマーは数学者以外の人々にも最もよく知られるようになった数学者の一人です.幾何学,確率論,物理学,微積分学の分野で独創的かつ重要な貢献をした学者ですが,フェルマーは生涯アマチュアであることを頑なに守りました.彼は自分の考えや発見をすべて手紙や手稿の形で伝え,出版はしませんでした.
彼は昼間は弁護士としてトゥールーズの議会議員を務めていて,学問の世界に身を置かなかったので,厳密な証明や査読などを受ける必要もありません.実際,同僚たちの中には,「フェルマーが証明を出さないのは,証明がないからだ」と陰口をたたく者もいたし,「フェルマーは常に,解くのが難しすぎる問題で挑んでくる」と揶揄する者もいました.しかし,フェルマーは,いくつかの問題には解がないことを証明したと反論しました.

ニュートンは,フェルマーの曲線と接線に関する先駆的な研究とその発展がなかったら,微分積分に到達できなかったと公言しています.彼はパスカルと有名な文通をしており,その中で2人はギャンブルの問題を研究し,確率論の原理を考え出しました.
フェルマーはまた,幾何学理論についてデカルト(数学者の中で最も気難しい数学者であることは間違いない)と対立し,デカルトが幾何学理論を発表する1年前に独自の理論を発表しました.フェルマーが正しかったが,デカルトは自分の影響力とコネを使ってフェルマーの名を汚し,その評判を矮小化したのです.論争もし,最後まで聡明で謎めいた存在であったフェルマーは,解けない謎を残して死にました.その最終定理は,彼の死後300年以上も未解決のままであったのですが,1994年に証明されました.