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ベイズの定理と新型コロナウイルスPCR検査

 

 

 

 

 

 


 
私は3月24,26日のメルマガまぐまぐ(311,312号)で以下の内容の発表をしました.-----
3月21日の厚労省の公表値を用いて,罹患率=発症患者/PCR検査数と定義すると,罹患率は,約5%になります.しかし,PCR検査の,感度と特異性(酒井健司,朝日デジタル)の情報を入れてベイズ推定した罹患率は5.9%になりました.この推定値の増加は,主としてPCR検査感度に原因があり,実際の罹患者を取りこぼすためです.(注)この数値は,PCR検査を受けた限定されたグループをサンプルとしているために,一般の集団に対しては少し割り引いた数値になるでしょう.-----
今日,PCR検査数も増加したので4月23日厚労省のデータを用いて,再計算をしてみました.どのように変わったでしょうか?
ただし,PCR検査数が増加したといっても(多少はPCR検査を受ける条件の緩和があるかもしれませんが),陽性の確率が高いサンプル集団について検査が行われている状況は変わりません.
カバーの図を見てください.ここで推定する数値はあくまでもサンプル集団に関するもので,一般集団に対してはいくらか割り引いた数字になるでしょう.
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■条件付き確率についての「ベイズの定理」とは次のようなものです.
p(Y|X)p(X)=p(X∩Y)=p(X|Y)p(Y)
記号の意味は例えば以下の様です.
p(X)  Xが起こる確率
p(Y|X) Xが起こった後でYが起こる確率
p(X∩Y) XかつYが起こる確率
ベイズの定理は,X(原因)が起きた後でY(結果)が起きる確率p(Y|X)と,XとYを入れ替えた確率p(X|Y)を結び付ける定理です.
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■新型コロナウイルスに対するPCR検査数は,厚労省の発表https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_11012.html で,4月23日現在,
135,983人になりました(1月前の3月21日の数字の7.5倍です).
PCR検査数    135,983
PCR検査陽性者数   11,919
陽性者のうち発症患者(陽性者∩発症患者)7,315人
発症患者/PCR検査数=罹患率 と仮の罹患率を定義すると,罹患率は約5.4%です.
陽性率=陽性者数/PCR検査数=0.088 ,陰性率=0.912 と定義できます.

■PCR検査の精度
新型コロナ検査、どれくらい正確? 感度と特異度の意味(酒井健司,朝日デジタル)に基づき,次のように仮定します.PCR検査の感度というのは,罹患者がPCR検査で陽性+と正しく判定される確率のことで,あまり大きくなく0.7, 罹患者でもPCR検査が陰性-となる(偽陰性)の確率は0.3程度.
検査の特異性により,非罹患者が+(疑陽性)と判定される確率は0.01だそうです.

■これらの仮定の下で,以下の2つを推定しましょう.ただし,ベイズの定理を使います.
(1)PCR検査で陽性と判定されたとき,罹患者である確率を求めなさい.
p(罹患|+)=p(+|罹患)p(罹患)/p(+)=0.7×0.054/(0.054×0.7+0.946×0.01)=0.80

+(陽性)でも検査感度のせいで罹患者をとりこぼすことが多い.また,非罹患者の割合が大きいので偽陽性の数も無視できない.この2つの原因が,+判定でも罹患者である確率を80%(前回79%)に下げている.

(2)罹患率を推定しなさい.
p(罹患|−)=p(−|罹患)p(罹患)/p(−)=0.3×0.054/(0.054×0.3+0.946×0.99)=0.017
-(陰性)と判定されたものの中に見逃された患者である可能性は1.7%(前回1.6%)ほどある.

従って,サンプル集団で推定される罹患率は0.088×0.80+0.912×0.017=0.086
すなわち,8.6%(前回5.9%)と推定できます.

Covid-19感染拡大シミュレーションの石黒数理モデル

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 
新型コロナウイルスCovid-19の感染拡大が止まりません.皆様お元気でお過ごしでしょうか.現在,日本では「人と人との接触機会を8割減にしよう」との呼びかけがなされています.規制を遵守し感染機会を減らすことはこの時期非常に重要です.

8割減は,感染拡大の転換点であるとされています.その根拠となる手法の総説には,例えば,「感染症流行の予測:感染症数理モデルにおける定量的課題」(西浦・稲葉;統計数理,第54巻第2号,461-480,2006)があります.しかし,接触機会8割減が転換点であるという具体的なシミュレーションはまだ見ておりません.

いろいろな感染症はそれぞれの特異な伝染状況があり,それに合わせた数理モデルを作る必要があるので一般論ではかたづきません.Covid-19の感染拡大に対しての数理モデルと,感染率,ウイルスの活性期間,患者の死亡率,感染者が感染源になりうる期間,等々の係数を仮定する必要があります.Covid-19は,まだ解明されない特異な感染の振る舞い(無症状の保菌者が感染源になる,感染回復後も再度感染する,等々)があり,完全な数理モデルができず確定的予測は困難です.
今回,石黒真木夫が,簡単な仮定に基づくCovid-19の特徴を考慮した数理モデルを作り,教育的なシミュレーション結果を得ました.その詳細は.「NPO数学月間の会」のホームページhttp://sgk2005.saloon.jpにありますのでご覧ください.


■ここでは,数式を用いずに,石黒の数理モデルとシミュレーションの内容要点を紹介します.

(1)ある人口集団を未感染者,ウィルス感染源,免疫獲得者,死亡者に分類し,未感染者がウィルス感染源の一員と接触したときにある感染確率で未感染者が感染してウィルス感染源となるものとする[実際は,Covid-19では,人-物ー人の感染ルートもあるといわれる].

(2)ウィルス感染源のウィルス拡散は14日間つづき,14日目に「死亡率」に従って死亡者と免疫獲得者に分かれ,免疫獲得者はもはやウィルスを拡散することも再感染することもなくなる[実際は,再感染するケースも稀にある].

(3)このモデルでは時間の経過とともに未感染者は単調減少,免疫獲得者は単調増加するので,感染の流行はかならず止まる.しかしそれは集団全員が感染した後である.

(4)感染確率と死亡確率を適当に与えればシミュレーションは簡単である.いまの計算機をもってすれば人口集団の各個人の命運をたどるミクロ・シミュレーションもさして難しくないが,以下で紹介するのは未感染者やウィルス感染源集団の大きさの変化を追跡するマクロ・シミュレーションである.確率的な現象の「期待値の動き」を追いかける決定論的なダイナミクスを採用する.ミクロ・シミュレーションをして,算術平均の変化を見るとマクロシミュレーションの結果に「誤差」が乘ったような動きになるだろうと考えられる.

(5)感染が感染源と未感染者の接触でおきるので,接触規制で感染源率を下げて「医療崩壊」は防ぐことは可能だが,これは未感染率を「高止まり」させ,規制をはずすと残った未感染者が感染する事態が発生することを示している.接触規制で再流行時期を遅らせて得た時間的余裕を有効に使って致死率を下げることが重要.それができないと、結局は死者の数は減らせないということになる.

■石黒の数理モデルを用いたシミュレーション・プログラム(Excelファイル)は,NPO数学月間の会のウエブサイトhttp://sgk2005.saloon.jpに公開しています.各自このファイルをダウンロードし,パラメータも色々変えてシミュレーション実験をすると面白いだろう.各種規制の効果は接触機会数に乗じるパラメータを変えて見ることができます.
感染者数のピークが過ぎても,揺れ戻しの感染者数の小さなピークが観測され,このような波動を繰り返しながら収束に向かうことがわかるでしょう.

ブルセラ症とは何か



 
ナイチンゲールが50年間ベッドでの仕事を余儀なくされ,死因ともなったのは,クリミア戦争時に流行したマルタ熱(ブルセラ症)であることが明らかになった.D A B Young,Florence Nightingale's fever,(BMJ VOLUME 311 23-30 DECEMBER 1995)
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■ブルセラ症(brucellosis)
NIID国立感染症研究所https://www.niid.go.jp/niid/ja/kansennohanashi/513-brucella.html,および,wikiを参照した.----
ブルセラ症はマルタ熱とも呼ばれる細菌に感染して起こる人獣共通感染症.クリミア戦争でマルタ熱が流行したことで世界的に注目されたが,紀元前400年頃のヒポクラテス著書にブルセラ症と思われる疾患がすでに記載されている.現在でも,世界中で毎年50万人を越える家畜ブルセラ菌感染患者が新規に発生(食料や社会・経済が家畜へ依存し,家畜ブルセラ病が発生している国や地域)発生している.マルタ熱の原因菌として,イギリス軍の軍医Sir David BruceによりB. melitensis が分離(1887)されて以降,種々のブルセラ属菌が発見されている.ヒトへの感染が報告されている主なものは,B. melitensis (自然宿主:ヤギ,ヒツジ),B. suis (ブタ),B. abortus (ウシ,水牛),B. canis (イヌ)の4菌種である.日本では,過去に牛のB. abortus感染が流行し問題になったが,家畜衛生対策の徹底により,1970年を最後に国内家畜から菌が分離された例はない.感染動物の加熱殺菌が不十分な乳・乳製品や肉の喫食による経口感染が最も一般的である.ヒト-ヒト感染は極めてまれである.
ブルセラ属菌は敵国の兵士や住民に罹患させて能力を低下させる生物兵器としても研究・培養された.アメリカは1942年、ソ連は1978年に兵器化を実現した.

■サビノワとリユドミラ物語.Екатерина Савинова и Людмила Сенчина
Приходите завтра「明日来なさい」(1963年,ソビエト映画)は,1540万観客の大ヒット映画(ロシア語)です.シベリアの寒村からИнститут имени Гнесиных モスクワの音楽学校に入ろうと出てきた才能ある少女の物語です.重い荷物を背負って一人で都会に出てきた元気で愉快な純粋な少女です.しかし,モスクワに来たときは既に遅く入学試験は終わっていました. 少女の役名はФросяフローシャ.これは実在のЕкатерина Савиноваサビノワの伝記映画で,サビノワ自身が主演し歌います.あの声はサビノワしか出せません.私がこの映画を知ったのも彼女の3.5オクターブ出るという魅力的な声の歌を耳にしたからです.音楽学校の玄関で有名なソコロフ教授に何度か訴えます.ついに引き出した教授の返事が Приходите завтра!「明日来なさい」でした.教授に学校のオーデトリウムで聞いてもらえた彼女の歌声がすばらしい.教授もフローシャの純粋さと素晴らしい声を見抜き,何とか入学させようと動きます.この映画はサビノワが自分で主演した愉快で楽しい映画で,私はとても好きです.しかし,残念ながら,その後のサビノワは,ブルセラ病(生牛乳を飲むと牛から感染する)が重くなり鉄道自殺(1970年,43歳)してしまいます.

興味深いのは,1963年にウクライナで高校生時代に,Людмила Сенчинаリュドミラ・センチナはきっとこの映画を見たのではないかと私は想像します.リュドミラは成功して,ロシア人民芸術家歌手になります.彼女は今年の1月25日に,ペテルブルクの病院で死去(67歳)しました.
リュドミラは,高校を卒業して,歌手になるために,ウクライナからレニングラード(現ペテルブルグ)に出てきました.でも,そのとき音楽学校の試験は終わっていたのです.よく似た話があるものですね.サビノワと違うのはペテルブルグに親戚がいたことです.
リュドミラの代表曲は,Песня Золушкиシンデレラの歌
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COVID-19感染拡大とナイチンゲール病院

 

 

 

 

 

 


 
■NHS Nightingale Hospitalについて
NHS=国民保険サービス,Nightingale Hospital=臨時救急病院≒野戦病院
イギリスのNHSは4つの地域区分(イングランド,スコットランド,ウエールズ,北アイルランド)があります.イングランドのナイチンゲール病院は,London(4,000床)にオープン(4月3日)を皮切りに,7つ目のSunderland(460床)は日産自動車工場近くに整いました.Covid-19患者の数に北東部の病院が対処できない場合に限り使われます.「人々が社会的距離を保ち,あるいはワクチンができ,この病院を使わないですむことを願っている」とNewcastle病院のNHS局長は語りました(Sunderland Echo紙).
Stay at home, protect the NHS, and save livesがスローガンで,
イギリスは,3月23日に3週間の全土封鎖に踏み切ったが,まだピークが去らないとしてさらに3週間の延長しています.4月19日現在.累積確認患者数は90,629,累積死者数は14,399に上りますが,一日の感染者の広がりは減少始めたようです.封鎖と並行して,PCR検査から抗体検査に転換し,抗体検査の大規模実施(現時点で1万3729人1日3万5000件の能力がある)と「NHSナイチンゲール病院」の設立を進めました.
クリミア戦争(1853-1856)で野戦病院の衛生状態の改革を行ったナイチンゲールは,『看護覚え書』,『病院覚え書』など多くの著作を残し,そこにはワンルームの病院設計図もあり,高い天井まで延びた3層の窓,3層目の窓を開放し換気,ベッドの間隔,等々要点が記されています.
NHSが設立した病院は,ナイチンゲールの病院概念が活かされた臨時救急病院≒野戦病院だからこう呼ぶのでしょう.
■ナイチンゲールについて(以下のウエブサイト記事を参照しました)
草の実堂;https://kusanomido.com/study/history/western/21987/ 
ナイチンゲールはクリミア戦争(1853-1856)で野戦病院の衛生状態を実践改革し死亡率を低下させました.帰国後のナイチンゲール・チームはバーリントンホテルに集結し,戦時の報告書をもとに病院の状況分析をして,数々の統計資料を作成,改革のためにつくられた各種委員会に提出しました.特に,死亡原因ごとに死者の数をひと目で分かるようにレーダーチャートの発明があります.
1860年にナイチンゲールが看護専門学校(ナイチンゲールスクール)を設立したのは広く知られていますが,ナイチンゲールが統計学者であることはあまり知られていません.疫学研究の元祖です.1859年にイギリス王立統計学会の初の女性メンバーに選ばれ,アメリカ統計学会の名誉メンバーにも選ばれました.ナイチンゲールは90歳で亡くなりますが,晩年50年間はほとんどベッドの上で,本の原稿や手紙を書く活動でした.その病因はブルセラ病に感染したこと(by D A B Young,Florence Nightingale's fever,1995)でした.

ブルセラ病については,次号に続きます.