SHAPE-[形]で解き明かす社会の難問
ジューダン・エレンバーグ著
宮崎興二編訳/パウロ・パトラシュク訳(丸善出版)
この本の紹介をします。数学書ではありませんが、数学の心意気が理解できる変わった面白い本です。いくつかをのトピックを選択して、コメントを述べようと思います。
■ 第一章は、リンカーンとユークリッド原論から始まります。
リンカーンと共に米国各州を巡回し生活した、弁護士ウイリアム・ハーンドンが1889年に出版したリンカーン伝からの回想が引用されています:
「田舎の狭いホテルに一緒に泊まったとき、二段ベッドの上から長い脚を垂らし、ローソクの光でユークリッドの原論を夢中になって読んでいるリンカーンの姿を見た。」
「リンカーンの事務所の机に、定規やコンパスや色々な図面や計算が書かれた紙が散らばっていた。」このときは、「円積問題を解こうとして二日間全力を尽くしていた。」とリンカーンが語った。
これらのエピソードから、リンカーンがユークリッド原論の愛読者だったと知って大変うれしい。
リンカーンが挑戦した円積問題[円を面積の等しい正方形にする]が、定規とコンパスだけでは作図不可能であることは、今日、誰でも知識として知っており、多分、わざわざ挑戦しようとは思わないだろう。しかし、リンカーンのように自分で図を描きやってみることが最も大切なことである。
1.円を正方形に
2.立方体のデロスの祭壇を2倍の体積の立方体に
3.任意角度を3等分する
これらは、定規とコンパスを使って作図できない問題だ。これは後の時代(リンカーンの頃は既知であったが)にわかったことだが、これらの作図の解は3次方程式の根であり、3次方程式の根は、定規とコンパスで作図できる数(+、ー、x、÷、√で表現される数)ではない(3乗根がでてくる)。
ユークリッドの幾何学から、リンカーンが身に着けた一番大切なものは、誰もが認める公理系の基礎の上に、誰も否定できない世界を演繹で組み立てるという考え方だった。
アメリカの独立宣言の中に言及されている『自明な真実』というのは公理に当たるし、ゲティスバーグ演説で、「人間はすべて平等に創られている、という『信条』に捧げられた新しい国家、それがアメリカである」という歴史的な名言中の『信条』は、”proposition”という単語【普通は『命題』と訳す】で、この言葉遣い自体が原論の公理の書き方を思わせる。
トーマス・ジェファーソンもリンカーンに先立、同様にユークリッドの原論に民主主義を支える原理を見つけ出そうとしている。ジェファーソンはウイリアム・アンド・メアリー大学時代にユークリッド幾何学も学習し、それ以降幾何学を大事にしている。リンカーンは独学であったが、両者とも、原論の論理の組み立て「みんなが認める公理から演繹で理論を組み立てていく」を実践しようとしている。
得られた結果た定理を暗記するのではなく、どのように論理が組み立てられたのかを実践し考え方を身に着けるような数学教育がなされるべきである。
リンカーンのように自力で考えることが大切だ。
日本国憲法は、互いに矛盾のないよく考えられた公理系の上に論理的に組み立てた体系であり、言葉は定義通りに忠実に解釈すべきで、解釈変更や拡大解釈などに詭弁の原因がある。『義務』とはすべて同等な義務であるべきなのに、恣意的に努力義務と解釈するなど、論理の焦点をわざと逸脱させたり本質を隠したりして制定時の精神を損なっている。憲法を読むにも解釈するにも、数学的な論理的態度が必要だ。これらについては、秋葉忠利「数学書として憲法を読む」、2019年数学月間講演(⇓)を参照ください。
https://sgk2005.org/bbses/bbs_articles/index/page:3?frame_id=346&page_id=97