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石積みとアーチ橋

投稿日時: 2020/09/29 システム管理者

写真の石垣は美しいですね.石積みの改修は番号をふって再現するのでパズルのようです.素晴らしい石工の技です.
ボロノイ分割のような網目で各所の釣り合いの条件を書いて計算できたとしても物づくりの役にたちません.石工の技術は直感と身に着けたバランス感覚そのものです.ガラス職人は熔けたガラスの粘性の手応えに反射的に反応し細工をします.機械の設計でも常識や力学感覚が身に着いていない技術者の計算まかせはとんでもなく危うい.
私たちは,幼児の頃に,積み木をしたり水遊びや泥団子などで遊び,物の柔らかさや脆さ,それを扱うバランス感覚,力学感覚を自然に身に着けました.物理や数学を学ぶよりもこの常識を身に着けることはとても大事なことだと思います.壊れやすいものを不器用に扱う若者が増えています.もっとも,理論と器用さは関係ないようで,教授でも子供より不器用な人はたくさんいます.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■通潤橋のアーチと通潤橋のアーチの数学に関し,私はnoteに以下の2つの記事を書きましたがあまり目につかなかったようです.
https://note.com/sgk2005/n/n5eccdef5315a
https://note.com/sgk2005/n/n4356f184665d
リンク切れになっているウエブサイトやブログもあるので,再度,概要を紹介をしましょう.

表紙の写真は,石積みの美しい橋,通潤橋(熊本県,山都町)です.アーチの形は懸垂曲線,放水の軌跡は放物線です.逆さにした懸垂曲線のグラフをアーチに重ねてみました.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鎖の両端を持ち水平に広げたときに,鎖が作る曲線が懸垂曲線です.鎖の各部分は重力で下向きに引かれ,鎖の一つ一つの繋ぎ目はどこも引張あって釣り合っています.この形の上下をひっくり返すとアーチができ,アーチの各部に働く力はすべて圧縮力になります.アーチには圧縮力しか働きません.石たちは自分の重量で互いに押し合い,圧縮され引き締め合います.接着されていない石積みは引張力ではバラバラになりますが,自分の重量で圧縮され良く締まります.石が割れると困りますが,石は圧縮力には強いのです.すべての荷重がかかるアーチの根元には,大きな水平反力が必要ですが,山に挟まれた峡谷などは建設するのに最適な立地条件です.


■私が通潤橋(熊本県上益城郡山都町)を訪れたのは,2007年10月のことでした.22日は,午前中に潤徳小学校3,4年生36人に万華鏡づくりの授業,午後は先生方と人形浄瑠璃を観劇しました.
最近の通潤橋の様子は,以下のウエブサイトにでています.2016年の熊本地震で被災し,修理工事中だった2019年5月にも豪雨で石垣の一部が崩落しましたが,2020年3月までに工事を終え,翌4月から4年ぶりに放水を再開しているそうです.
通潤橋の近況ですが,山都町のウエブサイトよりhttps://d38mttjwbmxw55.cloudfront.net/files/6c2868f8-675e-4dac-b6f3-079b3d5bf224_l.jpg?1585873042

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

阿蘇山の南側のこの付近の地形は,島のように台地があり,台地から台地への移動が大変で,平家の落人が隠れ住むのに好都合だったようです.
台地(白糸台地)に農業用水を引くのが大変です.
水は台地のがけ下に汲みに行かなければなりません.
時の惣庄屋「布田保之助(ふたやすのすけ)」は,白糸台地に水を引くための水路橋”通潤橋”を,肥後の石工たちの技術を用いて1854年に建設しました.通潤橋は,石造りアーチ水路橋で,長さ75.6m,高さ20.2m,幅6.5m.
橋の上部にサイフォンの原理を応用した3本の石の通水管が敷設されています.

◆通水管
長さ約127m.石をくりぬいた1尺(30cm)四方の函渠(圧力のかかる管水路).管と管の繋ぎ目には,振動吸収と漏水防止のための漆喰(しっくい)が塗られている.さらに,通水管には5~6ケ所に地震対策のための板(緩衝材)を挟んでいる.
通潤橋は両側台地より低いので,サイフォンの原理で出口で水を押し上げています.通潤橋の高さから流入側台地は7.5m高く,流出側台地は5.8m高い.
通潤橋は,今でも周辺の田畑を潤しています.
放水は,通水管に詰まった堆積物を取り除くために行うものです.
「通潤橋史料館」 に行くと,どのようにアーチ石橋を施工したかわかります.川の中に写真のような木枠を大工が組んで石工が石を置きました.
アーチ橋の高さを台地の高さまで上げられなかった理由は,
この木枠をこれ以上の高さにする木材がなかったためという事です.
石橋の木枠を外す最終段階は,橋の中央に白装束を纏った布田翁が鎮座し,
石工頭も切腹用の短刀を懐にして臨んだといいます.

写真に見えるアーチ曲線を型どっている石の並びについて話しましょう.
アーチの頂点にある石を”かなめ石”と言います.アーチ状に一列に並んだ石達は自分の重さで互いに締め付けあい安定になっておりセメントなど不要です.それでも下の木枠を外すときは,とても心配で責任者は命がけだったでしょう.布田翁も石工頭も命がけで臨んだのがよくわかります.
近年の熊本地震でも残ったのは,その堅牢さ(石の配管の修理をしたと聞きます)の証明です.
2007年当時の「通潤橋資料館」のウエブサイト資料がなくなりましたので,http://www.kumamotokokufu-h.ed.jp/kumamoto/isibasi/ab_sakus.html
のウエブサイトより以下の説明図を引用しました.

 

 

■人形浄瑠璃
http://seiwabunraku.hinokuni-net.jp/wp-content/uploads/img/about/s_06.jpg
人形浄瑠璃は,清和文楽館で観賞しました.山都町の人形浄瑠璃の始まりは,江戸時代の嘉永年間(1850年ごろ)で,山都町(旧・清和村)を訪れた淡路の人形芝居の一座から,浄瑠璃好きな村人が人形を買い求め,技術を習ったのが始まりといいます.
清和文楽は農家の人々が農業の合間を縫って練習や公演を行い伝承されてきました.良い話です.江戸時代の庶民の文化の高さに感激しました.三人で一体の人形を操ります.首(かしら)と右手を操る「主遣い(おもづかい)」,左手を操る「左遣い」,足を操る「足遣い」です.人形も触らしてもらいました.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■空き缶を積んで作ったアーチで実験

私は真剣に積んだのですが,どうしても缶5個のアーチまでしかできませんでした.5個の缶で缶同志の接点は4点.すべての接点で同時につり合っていなければなりませんから,作るのがとても難しい.もし,6個以上でアーチが出来た方は新記録です.ご一報ください.
缶の周りにラップを巻いていますが,摩擦力を増すためでアーチのつり合い条件を変えるものではありません.

 

5個の空き缶を積んで作ったアーチです.左右対称ですから,左半分だけ解析しましょう.缶の中心を①,②,③と名づけます.すると,缶同士の接点は,線分①-②の中点と,線分②-③の中点にあります.線分①-②,線分②-③には,それぞれ圧縮応力f_{1}, f_{2}があります.すべての缶は点で接触しており,モーメントは考える必要がありません(トラス構造).線分①-②,および線分②-③の水平となす角度をそれぞれα,βとしてつり合いの式を立てます.各缶には下向きに力gがかかっています.つり合いの式は,①点,②点,③点でx, y成分ごとに書きます.

 

$$ f_{1}, f_{2}, r_{x}, r_{y}, g $$が,ゼロででない解であるための必要十分条件は,行列式がゼロとなることでした.この行列式を計算すると,
$$ tanβ=3tanα $$ の関係が得られます.
この釣り合いの結果は,①から測った曲線に沿った距離$$ s $$と,その点の接線の傾きtanθが比例する $$ tanβ/3=tanα/1=tanθ/s $$の関係(懸垂曲線で導ける)と一致します(下図参照).

 

懸垂曲線のグラフ(赤)と放水軌跡のグラフ(緑)を表紙の写真の上に重ねました.ご鑑賞ください.アーチの形とアーチの屋根の左右の石の詰め物を見て,この橋の安定なバランスに感動するなら,あなたは常識の力学感覚が身に着いていると思われます.