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現代数学教科書:コルモゴロフの改革

投稿日時: 2022/07/11 システム管理者

今日の日本でも,大学教育はグローバル化,ユニバーサル化に対応する必要があり,高校教程で学ぶべきミニマム数学の内容やその達成度テストも適切なものでなければならない.これらの議論は教育数学の研究集会の記事をご覧ください.カリキュラム改革はいつの時代でもなかなか難しい.
改革では今日の数学(統計学やデータ解析など)に目配りする必要があるでしょう.60年前に遡り,その時代に議論された新数学教科書改革;ソ連,フランス,欧米の先行事例を知ることは大事ではないでしょうか.以下の記事(アレキサンドル・ブヘトフ)からコルモゴロフの改革は何だったか学びましょう.

Падение преобразователя: четыре вопроса о реформе Колмогорова
Александр Буфетов, профессор РАН
«Троицкий вариант» №2(346), 25 января 2022 года

 

Падение преобразователя: четыре вопроса о реформе Колмогорова • БиблиотекаПятьдесят лет назад в советских средних школах появился учебнelementy.ru
■学校教育の数学コースの改革の一環として,アンドレイ・ニコラエヴィッチ・コルモゴロフが編集した幾何学の教科書がソビエトの中等学校に登場したのは60年前だった.

 

 

 

 

 

 

 

 

 


10年制学校の6年生から8年生向けの幾何学の教科書

 

学校の数学授業を20世紀の数学に近づけたいという願望は,戦前から叫ばれており,1950年代に活発に議論されました. この論説の著者が10歳の少年の頃,学校の数学の授業が17世紀の数学者の業績(*)で終わっているのを,どこかで偶然読み,非常に驚いたことを覚えているという. その後に行われたことを知る時間はいつあるのでしょうか?(*訳者注)ニュートン,ライプニッツ,デカルト,ベルヌーイ,フェルマーなどの時代.
この論説の著者の生まれる20年前も,アレキサンダー大王の継承戦争の時代の数学者の業績(*)で学校の幾何学コースが終わっていることを知っていたら,もっと驚いたことでしょう.(*訳者注)アレキサンダー大王の死は紀元前323年です.アルキメデス,ピタゴラス,ユークリッドなどの時代.

ユーリ・アレクサンドロヴィッチ・ネレチンは次のように書いています.「私たちの3次元空間は,私たちの考え方と同様に,その時以来,あまり変わっていません」しかし,私たちの3次元空間の考え方が,ユークリッドやアルキメデスの考え方と同じではありません.その時代には,ベクトル計算,平面運動の分類,第5公準の独立性の証拠がありませんでした(ユークリッドの第5公準の解釈はロバチェフスキーの驚くべき業績です).3つのトピックのうち,キセリョフの注目すべき教科書(改革前の好評な教科書)で触れられているのはそのうちの1つだけ(ロバチェフスキーの幾何学は,キセリョフの教科書の余白に現れています)です.それ以来,学校のコースでの議論はこれ以上詳細にはなりませんでした.その一方,学校の幾何学コースにベクトルと幾何学変換が欠けているのは古くさいとの認識は,戦前からありました.

改革の主な熱狂者の1人は,RSFSRの教育副大臣であり,解析関数の理論に関する古典的な大学の教科書の著者であり,多くの言語に翻訳され,今日まで積極的に使用されている著名な数学者Алексей Иванович Маркушевичアレクセイ・イヴァノビッチ・マルクシェビッチでした.

1960年代初頭,コルモゴロフは改革の作業に参加しました.彼のリーダーシップの下で,新しいカリキュラムが作成され,その後,彼自身が共著者の小さなチームと協力して,非常に短い時間で,代数と解析入門と,幾何学に関する新しい教科書を書きました.

しかし,特に幾何学の教科書は厳しい批判を受け,批判は改革全体に広がりました. 1978年,ソ連科学アカデミーの数学科は,数学の教科書と学校のカリキュラムの現状は不十分であると認識し,コルモゴロフの改革は公式に却下されました.

一方、コルモゴロフによって編集された代数と解析入門教科書は,学校に残り,ソビエト連邦時代を無事に生き延びました.昨年,卒業前と卒業のクラスのための教科書の第26版が出版されました.幾何学の教科書の方は,取り返しのつかないほどの後退をしました.
コルモゴロフの改革は,西側の改革,つまり米国の新数学,そして特にフランスの急進的な数学の近代よりも比類のないほど穏やかでした.たとえば,フランスのリセウムの大学院クラスの1972年の幾何学教科書の目次を開いてみましょう:ベクトル空間,線形写像,多重線形形式,行列式があります.

フランスの最新数学の研究は,膨大な(そしてあまり簡単に見ることができない)文献に結び付けられている.詳細なモノグラフ「新数学の政治史」が最近米国で出版されました.3)
Yu.A.Neretinの注目すべき最近の論文は,コルモゴロフの改革に捧げられています.4)

3) The New Math: A Political History by Christopher J. Phillips. University of Chicago Press, 2015.
4) Ю.А. Неретин, Реформа Колмогорова математического образования, 1970–1980-е годы. arxiv.org/abs/1911.06108

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コルモゴルフ wikiより抜粋ーーーーー
(1903年4月25日 - 1987年10月20日)は、ロシアの数学者。確率論および位相幾何学の大きな発展に寄与した。彼以前の確率論はラプラスの『確率の解析的理論』に基づく古典的確率論が中心であったが、彼が『測度論に基づく確率論』『確率論の基礎概念』(1933年)』で公理主義的確率論を立脚させ、現代確率論の始まりとなった。
1931年に彼はモスクワ大学で教授になり、1935年に、コルモゴロフはモスクワ大学で第1代議長になった。1939年に、彼はソ連科学アカデミーの正会員に選出された。ーーーーーーーーーー

結局,コルモゴロフの教科書改革は失敗でした.改革が不徹底の原因背景について種々論じられています.ここで取り上げたАлександр Буфетовブヘトフの論説の後半部分でも,4つの問題点が語られています.
例えば,数学に割り当てられた時間の15〜20%の大幅な削減.8年制から10年制への移行にともない,なぜ時間を短縮されたのか​​わかりません.週に6時間の数学を決めたのは誰でしょうか?幾何学試験の廃止を決定したのは誰でしょうか?
制約がいろいろあったようです.コルモゴロフが非常に急いでプロジェクトを進めたのは何故でしょうか?健康問題もあったようです.費用も少なかったようです.しかし,当時の時代背景や状況の理解が十分にできていない筆者にはわからない点が多く,現時点でのこれ以上の深入りは止めておきます.もう少し調べる必要があります.
詳細な調査を掲載している別の論説も以下にあります:

Реформа Колмогорова (Kolmogorov reform)mat.univie.ac.at

 

Замыслы Колмогорова о школьном курсе геометрии • ВидеотекаПоселок Московский, 29.06.2009. Конференция лауреатов Всероссelementy.ru

Вспоминая Колмогорова • ВидеотекаПоселок Московский, 04.07.2006. II конференция лауреатов Всерelementy.ru

 

 https://elementy.ru/nauchno-populyarnaya_biblioteka/431665/Aleksandr_Shen_Uchenikom_Kolmogorova_ya_ne_byl?from=rxblock

 Александр Шень: «Учеником Колмогорова я не был» • БиблиотекаАлександр Ханиевич Шень — кандидат физико-математических наукelementy.ru
■50年代後半から60年代前半にかけて,さまざまな人々が,微分積分,幾何学変換,ベクトル代数,組み合わせ論,確率論(および統計),複素数,集合論的アプローチ,数理論理学を,詰め込む可能性について議論しました.学校のカリキュラムは,現在のプログラムから何かを省略する必要があり困難な問題です.リストのほぼすべての要素を押し込むことが比較的合理的な方法でできました(統計,積分,および論理を除く).しかし,いくつかの夢を犠牲にしなければならない難しい決断でした...
幾何学変換で不変となる量に注目していろいろな幾何学(ユークリッド,非ユークリッド,アフィン,射影,トポロジー等々)が定義できます.幾何学的変換の概念に基づいて幾何学のコースを作成するというアイデアは,1905年にエミール・ボレルによってフランスで成功裏に実装され,ソビエト連邦では戦前でも詳細に繰り返し議論されました.ベクトルは,キセリョフにも,ニキチンの初等教科書(コルモゴロフの前身)にも,1969年のポゴレロフの教科書にも含まれていないが,コルモゴロフの改革の枠組みの中で学校の幾何学コースに入りました.

■ポゴレロフの教科書が完成し,使用されました.これは,早くも1969年に行われた可能性があります.

Atanasyan-Butuzov-Kadomtsev-Poznyak-Yudinaの教科書,A.D.Aleksandrov-Werner-Ryzhikによる教科書が書かれ発売されました.教科書の全連合大会が開催されました.

作家が誰にでも好かれることはないのと同じように,1冊の教科書が誰にでも愛されることはありません.すべての教科書には欠点があることがわかります.Wernerによると,教師は教科書を選択できました.1980年代初頭,サンクト・ペテルブルグ市のさまざまな地区で3つの異なる教科書が使用されました.

 https://note.com/sgk2005/n/naa3e06512eb1