Дмитрий Германович Фон-Дер-Флаасс,«Квант» №5, 2010
のエッセイのまとめです.今回は短いが,彼の最も言いたかったことはここにあるのでしょう.最後に私(訳者)の感想を述べます.
そして今、第四の定理について、少しだけ、多分最も恐ろしいことを話します - "教えても、誰も興味を示さない”。この問題のいくつかの断片はすでに話しました。人々は有限群の研究に興味を持たなくなりました。やる人が減ってきて、テキストという形で保存されてきた知識の塊が不要になり、誰も読めなくなってきている。これは数学の多くの分野を脅かす不幸でもあります。
数学の分野によっては運がいい分野があります。例えば、グラフ理論と組み合わせの理論は同じです。本気でやり始めるにも、ほんの少し学べばよい。少し勉強して、数学オリンピックの問題が解ける。一歩踏み出して、未解決の問題があり、~やったーとなります。しかし、数学の多くの分野は、本当に美しく、それをやりたいと感じるためにも、あなたは多くのことを学ぶ必要があります。そして、その道中では、他にも多くの美しいことを学ぶことができます。しかし、道中で出会うこれらの美しさに気を取られてはいけません、そして、最後には、まさに迷路の中で、美しさを見て、そして、多くのことを学んで、この分野の数学ができるようになっていくのです。そして、この難しさは、そういった部分の問題です。数学の分野が発展するためには、それに従事しなければなりません。全ての困難を乗り越えて、そこに登って、その後もやり続けるというのは、多くの人には面白いはずです。そして今、数学はその難易度の高みに達しており、多くの分野で人知の限界が大きな問題となっています。
人類がこれらすべての問題にどのように対処するのか-私にはわかりませんが、それは興味深いものになるでしょう。
実はそれだけです。
訳注)感想:私は、このエッセイで例にあげられている有限群の問題に興味があります。しかし、この分野は数学者たちは興味を失っているようです。それは、数学の確立された分野で,これ以上研究するのは人間の理解できる限界だからです。これを乗り越えるのは、他のすべての分野の知識もマスターしている数学者ができる仕事でしょう。それを乗り越えられる人がいるのか,その人知はもう人間業ではないのか。そして、たとえ誰かが乗り越えても他の誰にも理解できず,その結果に誰も関心をもたないという状況が恐ろしい.