AIの時代

1986年から始まった米国の数学月間MAMは,2017年から統計学を表に出して数学・統計学月間MSAMに衣替えした.これは,(2011年)解明進む複雑系,(2012年)統計学とデーターの氾濫,(2013年)持続可能性の数学,(2016年)予測の未来,と続くMAMテーマの流れから予想されたことです. 数学と統計学は,インターネット・セキュリティ,持続可能性,疫病,気候変動,データの氾濫,に見る現実世界の問題に対して重要な役割を果たしています.医学,製造,エネルギー,バイオテクノロジー,ビジネスなどの分野でも,日々新しい結果や応用が生まれています.数学と統計学は,システムや方法論がどんどん複雑化する技術世界で,革新の重要な推進力になっています. 些細な事故が雪崩となり大規模災害を惹起する危うさを持っているのが複雑系です.限界ぎりぎりで稼働している複雑系であるインフラの制御はAI(ディープラーニング)がなければどうにもなりません(ただし,事故の復旧では人間自身の手が必要で,AIで解決できるものではありません).また,医療診断の画像識別エキスパートシステムでは,専門診断医を凌駕する状況であります.

日本政府の「AI戦略」は,AIを理解し各専門分野に応用できる人を,遅ればせながら2025年までに年25万人育てる体制を目標に掲げました.経済産業省が2019.3に出した報告書「数理資本主義の時代」(違和感のある表題だ)は,数学が国富の源泉であると謳い,GAFAを見ればそのような時代の流れであることは明白です.しかし,ことさらに数学をそのように強調し,強者になるための道具にすることには違和感があります.高い年収が得られるので数学を職業とするでは本末転倒と言わざるを得ません.
さらに経産省の当該報告書(p.19)には,<工学出身者に「数学は役に立たない」という時代遅れの先入観が残っている>との記述があます.時代遅れの先入観と言わようが,あえて言うと,私は「数学では物は作れない」と思っています.
アナログ制御の時代を担い応用数学を発展させた工学の扱う対象は物や反応であるのに,データサイエンス(コンピュータがなければ何もできない)の働きかける対象はいつも数値(データ)であり解析にとどまるからです.ただ,工学であれデーターサイエンスであれ,どちらも数学なので,「数学は役に立たない」とは誰も思ってはいないはずです.かつて,電気電子,計測などの工学部が応用数学の研究と教育を担っていた時代があったが,コンピュータの発展により,数学能力の低下はあると思います.数学理論を何も知らずとも優れたコンピュータ・ソフトを操り,良い結果を得るのをしばしば目撃したし,ディープラーニングのブラックボックス化の弊害もあると思います.今は,データーサイエンスの基礎を支える数学を押さえる時期であると思います.経産省の報告書の先に触れた部分は,<企業の工学出身者の時代遅れ先入観がAIを阻害している>と言いたいようだが,経産省の指摘を待つまでもなくこの分野の研究は多くの企業で先行していた.例えば,1987年に開設したリコーカリフォルニア研究センターでは,1990年にPeter E Hartを所長に迎えAIの研究を始めている.2000年に,Richard O Duda, Peter E Hart, David G Storkが”Pattern Classification”(2nd edition,尾上守夫監訳)を出版している.これはスタンフォード大の授業でも用いられ発売後半年で4,000部売れた.米国AI研究者の数学基礎の確かさと層の厚さが感じられる例である.

日本のある大学のポスターで,基幹工学(機械,電気・電子,工業化学),先端工学(ロボット,AI・データーサイエンス),建築工学の3分類の新し構えを見受けます.また,立教大学が2020年4月に開設する国内初となるAI(人工知能)に特化した大学院「人工知能科学研究科」(修士課程)は,機械学習やディープラーニングを中心としたAI領域についての学科で,機械学習の数理モデルを深く理解し,高度な情報科学や統計学の知識を持ち,論文から最新のAI技術を実装できる人材育成を目指すという.
ベイズ決定理論,最尤推定,パーセプトロン,多層ニューラルネットワークなどの基礎教育を行うのは必要ですが,数学以前の数理モデルを作る時点で,正しい解釈ができる能力,常識,読解力,AI倫理などはさらに重要であると考えます.統計学もAIも解釈次第でとんでもない結果を導く可能性があります.