日本の「数学月間」は7/22ー8/22です(22/7≒πと22/8≒eに因みます).日本の数学月間は2005年に始まりました.米国の数学月間は1986年に始まりました.米国が1986年に,上院の共同決議に基づくレーガン大統領宣言で,国家的な行事としての「数学月間」MAMを決断した背景には,国民の数学力が低下し,米国の産業力も低下するとの焦りがあったといわれます(小林昭七『顔をなくした数学者』).
日本も,今日,同様な状況にあり,国家的行事の「数学月間」が望まれます.
1950年~1980年の日本は,Dr. Demingの品質管理手法をTQCやQCサークルに発展させ,生産性向上を達成しました.
米国で無名だったDr. Demingを1950年に日本に招聘し8日間の第1回セミナーを実施したのは,日科技連,日本企業の先見の明でした.1951年にはデミング賞が創設され,Dr. Demingの統計学に基づいた品質管理手法が日本企業に普及していきます.「PDCAサイクル」などという言葉をどこかで聞いたことがおありでしょう.
当時の米国企業では,フレデリック・テーラーの競争原理が支配していました.品質より生産量を競い,作業能率を重視しました.四半期/半期の損益報告を重視し長期的な展望を持てない欠点がありました.
これに対して,ウィリアム・エドワーズ・デミングは協力によってもたらされるwin-winの状況を基礎に置きました.顧客が望むものは信頼できる品質であり,何事も目的意識をもって行動すれば必要な結果はすべて得られると解きました.
これは,私には,数学学習の前に,その数学の応用を知り目的を明確にするという数学月間の心に重なって見えます.
統計学者デミングの品質管理手法に,米国に先んじて注目したのは日本企業の叡智でしょう.協力精神に基づき,終身雇用,年功序列賃金,労使協調などの導入された制度は日本に合っていました.
品質管理の統計的手法は,マネージメントにも全社的に展開されTQC,日本企業の躍進の時代をもたらしました.私が新入社員で入社した1970年には,工場では皆ZDのバッチを付けていた(ZD運動)ことが思い出されます.
その後に続く,QCサークルなどの活動で目的を明確にして協力する体質が作られて行きました.
1980年になると米国では日本に学べとばかりに,NBC放送は, 1980年, If Japan can... Why can't we?というドキュメンタリーを放送し,米国でもDr. Demingのセミナーが展開されるようになります.
しかし,この時,これに留まらず,もう一歩進め,数学全般の啓蒙「数学月間」MAM活動へと発展させたのは,一歩先に行く米国の叡智でした(竹内の証言).
こうして,米国の「数学月間」の開始を告げるレーガン大統領宣言は1986年に出されます.米国の数学月間は1986年(1999年までは週間)に始まり1999年に月間(4月)になり,2017年からは数学・統計学月間になりました.この潮流は米国の叡智そのものと言えるでしょう.現代社会は統計学に依存しています.そして,数学は理工学だけでなく,人文科学にも浸透して来ました.統計学は,特に,人文科学でも重要なツールです.