数学月間を提唱した片瀬豊さんが本年(2018年)8月8日に亡くなりました.謹んでご冥福をお祈りします.88歳でした(奇しくも8の5つ並びです).私が片瀬さんに初めてお会いしたのは.2005年のこと.片瀬さんの提案で,日本数学協会が毎年7月22日~8月22日の一月間を数学月間と定めたときです.2005年以来,片瀬さんの作った数学月間の会は,毎年,月間初日の7月22日に「数学月間懇話会」という講演会を実施して,2018年の「数学月間懇話会」で第14回になりました.片瀬さんと私は14歳違いますから,私が初めてお会いした時点の片瀬さんは,ほぼ,今の私くらいだったわけです.追々にわかることですが,片瀬さんはハリソン東芝の社長などの東芝の要職を務められました.私も東芝総研に勤務した若い頃があり,片瀬さんが紹介される方々が旧知の懐かしい方々であることも多く不思議な縁でした.また,片瀬さんは朝洲という俳号で素直な良い俳句を作られていました.私も下手くそな短歌を定年後作り始めて14年になります.俳人片瀬さんの作った標語,「社会と数学の架け橋」は実にすばらしい! 小林昭七氏の追悼で読んだ片瀬さんの俳句を紹介しましょう.「君は逝く 世界に虹を 渡しつつ」
片瀬さんは大企業の社長をされたほどで,私と違い政治家をも取り込み清濁併せ呑むような心の広いところがありました.
片瀬さんは,数学月間が国家的な行事となることを望み,数学月間のアピールのためには,どこへでも行きました.そのバイタリティは見習いたいものといつも尊敬しておりました.写真(4年前)は元気な片瀬さんで,京都大学の数理解析研究所の教育数学研究集会(4日間)に参加した時のものです.とても元気でした.集会最終日には朝から大雪となり,北白川の雪の構内を歩いて通ったこと,帰りの横浜も大雪だったことを思い出します.
片瀬さんは,昭和24年発足した新制度東京大学教養学部在学中に,数学研究会を提唱結成しました.そのメンバーは多士済々です.数学月間の会がスタートしてからも.小林昭七,山崎圭次郎,飯塚幸三,阿部龍蔵,竹内淳実,上野正,久保盛唯(敬称略),などの方々と出会いご協力をいただきました.
東芝時代の片瀬さんは,東芝の屋台骨である照明事業部で,技師長,事業部長を歴任されました.得意の数学で品質管理に成功を収めたと聞いております.イランのパーツ東芝の工場でも活躍され,その後,今治にあるハリソン東芝の社長になられました.しまなみ海道の開通前の頃で,世の中は電球から蛍光灯に移行する時代でした.おそらくパソコンのバックライト用の細い蛍光管などがたくさん生産された時代でしょう.愛媛県,松山は正岡子規ゆかりの地で俳句文化の地です.俳人片瀬さんはこのころに始まったようです.俳句を作るように課題を絞り出す3原則法,読書会,技術道場,そして,時には俳句会,片瀬社長の活き活きした活躍と,人の育成に熱心だった様子は,当時をともに過ごした尾木純氏から伺いました.また「照明学会百年史」への片瀬さんの寄稿「シールドビーム反射型電球の開発」には,「NHKスタジオの近距離でワイドに広がる照明に関し,数学的推敲を重ねた結果、反射面でも、屈折媒体でも光を精密且つ均一に広げることができる方程式に思い至った」記載があります.引用:片瀬豊,小瀬明「反射型の投光用電球,反射面或はレンズの設計方法」(昭和38年照明学会誌).このエピソードは,竹内淳実,飯塚幸三氏に伺いました.
片瀬さんは大変なアイデアマンで,照明学会など照明4団体の「あかりの日」(エジソンの発明を記念して10月21日 )制定にも係わっています.現在でも,「あかりの日」には,ポスター・コンクールとか,にぎやかなイベントがあります.電球からLEDに時代は変わりましたが「あかりの日」のアピールは成功しています.「数学月間」が隆盛となる日々を片瀬さんは「あかりの日」に重ねて描いていたことでしょう.
数学はあらゆる文化・学術の基盤で,科学,工学,産業,芸術,医学,経済など,社会のあらゆる分野を数学が支えています.しかしながら,一般市民,特に,生徒・学生とその両親は,数学学習を敬遠する風潮にあり,これが数学力の低下をもたらしています.米国の「数学月間」MAM(Maths Awareness Month)は,「1986年4月14日から20日までの1週間をMathematics Awareness Week(スタートから1998年までは週間であった)とすることを議会上院が決議し、続くレーガン大統領の宣言(4月17日)により国家的な行事として開始されて今日に至ります.米国MAMは,数学系の学協会が参加するJPBM(Joint Policy Boad for Maths)が,毎年,社会を反映した数学テーマを選定し,毎年4月に種々の数学イベントを展開し,国民からの事後評価も受けます.皆が知りたい時局の数学を,種々のレベルで学習できるウエブ・サイトが充実し,そこにエッセイや論文が集積され,そのテーマの数学を基礎から最先端まで,学生が独習できる優れたガイドになります.MAM期間には,一般から専門家まで,小学生から大学生まで,いろいろなレベルのイベントが全国で展開されます.レーガン宣言で国家的行事のMAMを決断した背景には,国民の数学力が低下し,米国の産業力も低下するとの焦りがあったといわれます.日本も同様な状況にあり,国家的行事の数学月間が望まれます.引用:小林昭七「顔をなくした数学者」
我々の数学月間活動は,片瀬さんが小林昭七氏からの情報で長年ウオッチングしてきた米国MAMに共感したことに発します.日本の数学月間をこの期間に定めたのは,山崎圭次郎氏の発案によるもので,22/7≒π,22/8≒eに因みます.数学月間の会は,2005年の発足以来,ボランティア・ベースながら,毎年,数学月間の初日7/22に,「数学月間懇話会」を開催し,毎回3件の啓蒙的な講演を一般市民に対し実施してきました(付録参照).数学月間活動は,米国MAMのように国家的行事として行うべき性質のもので,個人寄付金とボランティア・ベースで行っている現状には限界があります.その活動も数学愛好者内にとどまっているのでは意味がなく,社会に横断的に呼びかけ活動し,「社会と数学の架け橋」になることが必要です.
近年,日本でもSTEM(科学・技術芸術・工学・数学)教育が叫ばれていますが,これも2003年に始まった米国のSTEM教育に源を発します.これらの科目の中で統合的に数学を教える必要がありますが,この試みはまだ成功していません.数学月間の視点はSTEM教育へも貢献できるものと思います.
現在,片瀬さんの遺志(NPO活動への寄付を預かりました)をついで,数学月間の会のNPO法人化に向けて準備を進めています.数学が社会からの共感を勝ち取ることは,数学の発展に不可欠な条件で,そのためには,数学と社会(市民と同義語)の架け橋活動が必要です.数学愛好者だけが数学を楽しむ会ではなく,数学の外にいる人々に語りかけができる組織が必要です.数学自体を楽しめるのは数学愛好者だけですが,社会から見て数学がどのようにかかわっているかは,市民のだれもが知りたいはずです.
数学月間の会の活動は,数学者の内部組織にとどまらず,さまざまな分野で数学を用いている人々と力を合わせて,分野横断的です.STEM教育と似たところがあります.数学者や数学愛好者は,広い視野を持って数学の周辺分野に出ていきましょう.この活動は,数学者にありがちな抽象数学を教えるという上から目線とも違うし,役に立つ数学だけを奨励しているわけでもありません.
社会に呼びかける啓蒙活動は,その対象も不定だし,成果の評価基準も漠然としていてやりにくい.文科省の21世紀COEなどでも,成果の明確でないこの分野は避けています.このような活動は,米国のように国家的な組織で行うべきですが,数学月間の会はこれを傍観することはできません.及ばずながらできる限りの努力をします.それが片瀬さんの悲願でもあり遺志でもあります.それでは,NPO数学月間の会はどのような方針で活動すべきでしょうか.数学月間の会は,数学者も含め数学の周辺のさまざまの分野の人々が参加する連絡会の性格であると私は考えます.
日本各所で数学の大衆化を個人レベルでおやりの我々の同志が,たくさんおられることは,多くの優れたウエブ・サイトの存在が示す通りです.また,さまざまな数学同好会や勉強会も活動しています.様々な分野や産業界でもいろいろな課題に数学を使っている方々が多数います.そのような方々に呼びかけます.ぜひ数学月間の会に参加して,力を合わせてそれぞれの活動を増幅し,社会に浸透させようではありませんか.
日本でも,数学を学ぶ同好会,塾,講習会,講演会などは種々あります.これらも数学月間のメニューとして重要であるのは言うまでもありませんが,我々の目指す活動の主力は,数学内部にとどまらず,数学外部のあらゆる分野と横断連携して,一般市民に数学の活躍の様子を伝えましょう.
この問題を解決するために,数学月間の会は,一般市民,学生,生徒に対し,数学が社会を支えている事例を,わかり易く啓蒙する事業を行います.ぜひ活動にご参加ください.数学への社会的共感を獲得し,社会の数学力の向上,数学文化を普及させ,社会の発展に寄与することを目指しましょう.